君は「50年前のプラモデル」を組んだことがあるか。(もしくは、タミヤというブランドの強度について。)
_DSC6666


クリアーのボディに、シルバーの翼。びっしりと打たれたリベットと、シャープなパネルライン。
驚くなかれ、これはいまから50年以上前、1965年に発売されたタミヤのプラモデル「1/50 彩雲」である。

初めに言っておくと、これは若い人に向けた記事である。「そんなことは知っていたよ」というコメントは無用だ。




_DSC6643


プラモデル業界における年に2度のお祭りのひとつ、「全日本模型ホビーショー」(於東京ビッグサイト)の会場内、タミヤブースにて
田宮俊作会長のサインが入った1/50スケールの彩雲が1400円で売られていた。この復刻版、一般販売はされておらず、タミヤが出展するイベントでたまに見かけることができる。

ふいに、学生時代、不躾に田宮俊作氏(当時は社長)との面会をダメもとで申し込んだ記憶がフラッシュバックする。
どういう風の吹き回しか、「では◯日の◯時にいらしてください」と返事をもらって、いろいろな提案とか企画を書いた紙を持ち込んだけど、
「そうか、そりゃおもしろいね。でも、そういうのはもっとこうするといいね」と朗らかに笑って自身の見解をさっくりと述べたあと、
彼はタミヤという会社のポリシーや、社屋の周りで起きた出来事を戦時中まで遡って徒然に話した。

タミヤの彩雲は、老舗模型専門誌『モデルアート』の創刊号(1966年11月号)で表紙を飾ったプラモデルでもある。
40歳以上のモデラーは口を揃えて「古いキットだけれども、とても良い思い出の詰まった模型だよ」と遠い目をする。
恥ずかしながら箱の中身を見たことのない俺は、筆で「田宮俊作」の名が入ったパッケージを手に取り、レジで誇らしげにタミヤカードを差し出し、それを買った。


_DSC6597


_DSC6593


_DSC6587


_DSC6634


こういうメモリアルなプラモデルというのは(とくにパッケージに会長のサインが入っているなどというのは)、ふつう「組まないもの」なのかもしれない。
しかし、ハコを開けてそこに収まっている美しいクリアーの胴体と、繊細なディテールで埋め尽くされたシルバーのパーツを見ていたら、我慢などできなかった。
家に帰って、無心でそれを接着剤で貼り、そこに現れる姿を貪った。
インターネットで調べると、昔、このプラモデルは胴体の右か左だけがクリアーパーツ(左右どちらかは箱を開けなければわからない仕様!!)だったそうだ。


_DSC6664


左右に割られた胴体に、コクピットのフロアや計器を挟み込み、主翼や水平尾翼を貼って、エンジンにカウルをかぶせる。
特段貼り合わせるのが難しいところがあるわけでもなく、ただひたすらに、パーツを切り出して貼ればどんんどんカタチになる。
そう、1965年に、プロペラ機のプラモデルというのは現在と寸分たがわぬフォーマットを獲得していたのだ。

当時、モノグラムという海外メーカーが到達していた「ギミックてんこ盛り、中身もバッチリ再現」というのに憧れたのかどうなのか、
ほとんどプラモデルの黎明期とも言える日本の市場に、こういうものを放り込んでいたのが、タミヤというメーカーだったのだ。

着陸脚は胴体から出し入れでき、動翼はグニグニと動き、機体下面に配されたカメラがフロアに据え付けられている様子まで、完成後も眺めることができる。
本来は金型の外側だけ磨かれていればプラモデルのパーツは成立するが、中身をしっかり見せるために内側まできちんと磨き上げられているのがわかる。
リベットやパネルラインが凸モールドながらびっしりと彫られたシルバーのパーツもまた、景色が映り込むほどの鏡面加工で仕上げられている。
主翼のと胴体の接合部がややタイトで上反角をうまくキメることができなかったが、とにかくストレスフリーに組むことができる
今の飛行機模型となんら変わりないフォーマットのプラモデルが、半世紀以上前に存在していた。

本来的には「塗装して仕上げる」のがプラモデルの流儀かもしれない。
けれど、「50年前に、こんなプラモデルがあった」ということを自分の目で何度でも確認するならば、これは「塗らないのが正解」かもしれない。
「彩雲の模型」が欲しければ、もっともっと新しい彩雲のプラモデルが別のメーカーから発売されているのだし、そっちを完成させたほうが正確で、楽ちんだろう。
だから、これは50年前のプロダクトのありのままの姿をストレートに味わう、刺し身的な鑑賞法が正解だ、と俺は判断した。
(50年以上に渡り、金型をメンテナンスし、バリやヒケや表面の傷を最小限に抑えているのもまた、タミヤというメーカーの底力である。)

そのメーカーはまだ健在で、新製品を続々と発表しながら、その傍らでこうしたメモリアルなプラモデルを売っているという驚き。
50年前の製品をそのまま売って(懐古的な意味抜きで)ユーザーを驚かせることができる、というのはとてつもないことではないだろうか。


_DSC6676


_DSC6683


注意すべきは、このプラモデルが「特別な技術」で作られたものではない、ということだろう。
このプラモデルは、ごくごく当たり前の上下に割れる金型のなかにどんなパーツをどういう風に配置し、それを貼り合わせてもらうことで
「かっこいい彩雲」を作ることができるだろうか、と考えた人間のポリシーとアイディアによるものだ。

その基本的な概念は50年の昔も、現在も、決して変わることはない。そのアイディアが傑出していたことについて異論を唱えるつもりもない。
しかし、プラモデルというのはやはり、「ポリシーとアイディア」によって作り出されるインダストリアルな愉悦である。

もし、イベントでタミヤの彩雲に出会ったら、そのときは迷わず買って、死蔵せず、さっくりとその日のうちに貼ってその組み味と出来上がりを楽しんでもらいたい。
タミヤというメーカーのブランドが、その本質がどこに由来するものかを直感的に理解するためのすべてがここに詰まっている、と言っていいだろう。
塗る塗らないはあなたの自由だ。どちらにせよ、そこには「変わらぬプラモデルの本質」と「時代を超えて人々を驚かせるアイディア」が共存している。






# by kala-pattar | 2016-09-25 22:09 | プラモデル | Trackback | Comments(1)

「女の子のどこにフェティシズムを感じるか」を知りたければこのプラモを組め!!
_DSC6581


はい、最近「プラモデル界のフォトヨドバシ」と呼ばれて謎の使命感に燃えているワタクシからぱたです。
今日はですね、バンダイの超絶人間プラモデル最新作、 フィギュアライズバスト マクロスデルタ 美雲・ギンヌメールです。
すでにこのブログでは同シリーズのフレイアとマキナを紹介していますが、もう美雲さんもだいたい同じだろう、と俺も思ってました。
思ってましたが、この短い期間で明らかにその狂気っぷりが加速しているのでこれはもう写真を撮るしかねえ……となったもんで、お見せします。




_DSC6450
▲「レイヤードインジェクション」で再現された眉毛、口、まつげ。組む前から色分けできているのはわかりますが、前作ではなかった「まぶたの凹モールド」が入っています。危険。


_DSC6456
▲頬のサイドから口腔内の色を再現するためのピンクの樹脂を流し込んで、その裏にピンを受けるダボがあります。右の黒い樹脂と紫の樹脂の接合部(別々の場所から樹脂を流すので冷えた所同士が融着せず折れやすい)が強度を担保するためか球体で包み込む構造になりました。


_DSC6509
▲瞳も相変わらずのレイヤードインジェクションですが、4色の樹脂で6種類の表現をしています。白と黒の樹脂の上に薄くクリアーレッドを重ねて瞳の上下の明度差を再現するというウルテクです。


_DSC6464
▲特徴的なボリュームのある長髪は大胆な分割で金型を深く掘って再現しています。まあここまではいいんですが……。


_DSC6539
▲実際組んでみると、貴方は絶叫するでしょう。パーツを組み合わせる角度と複合的に隠されるダボの配置はもはや奈良時代の宮大工の記憶が活かされているとしか思えません。恐怖。


_DSC6484
▲ドリル前髪は前後分割ですが、ほつれ髪の雰囲気も含めてニヤニヤしてしまいます。超うまそうな紅芋ソフトのようです。


_DSC6486
▲ところどころメッシュのように水色になった髪色も細かいパーツを紫色のパーツにはめ込んでいくことで再現。少ないパーツ数で複雑な髪型をガガッと組ませるの、素敵です。


_DSC6470
▲このプラモのコア、下乳です。下乳だし、下腹部だし、ヘソです。腹筋だし、肋骨だし、ワキです。もう、女の子のすべてです。これがプラスチックのパーツなのかよ……大丈夫かよ……。


_DSC6471
▲背中には肩甲骨があり、腰の終わりとケツの始まりが出会い、新鮮なカツオが獲れます。戻り鰹は脂が乗っていて初鰹より美味とされます。


_DSC6476
▲しかしその中にはガンプラライクなダボとリブが林立しており、美雲さんはいけないボーダーラインを軽々と超えていきます。どこへ行くんだ、バンダイのプラモデル。


_DSC6478
▲「ガイア、オルテガ、マッシュ!スライド金型を使うぞ!」と言わんばかりのスライド三連発抜きで再現された腕と手。人間の輪切り断面をこんなに見たことがあるか、君は。


_DSC6517
▲アイドルの衣装にありがちな部分的謎エナメル調素材はグロスインジェクション(ツヤありホワイト)で成形。伸びるシールを貼ることでカラーリングをフォローします。


_DSC6530
▲下乳があり、ヘソがあり、そこをブリッジする衣装と肌の隙間の向こうに光があります。尊くないですか……これを貴方の手で組むのですよ。ニッポンの、ウィンダミア王国の夜明けぜよ……。


_DSC6552
▲アホ毛をはめ、髪飾りを突き刺し、ドリル前髪をセットして美雲さんが徐々に現れます。塗らずに、組むだけで、これが……。俺はいったい何を作っているんだ!教えてくれメッサー!


_DSC6535
▲襟の黄色いところなどは伸びないホイルシールを貼ります。塗装でもいいかな……。袖の「ランダムなシワ同士が組み合わさらない造形」が新鮮極まりないんです。組んだら分かる。


_DSC6579
▲髪の毛の先端に向かって赤くなるグラデーションはシールが付属していますが、流石に俺の中のモデラーが怒ったのでエアブラシで半ツヤクリアーレッド吹きました。


_DSC6577
▲フィギュアライズバスト、美雲・ギンヌメールです。シール貼って部分塗装して組み始めから1時間。ヴァールも全滅です。


このプラモデル、もはや「我々はどう手出しすればいいのだろう」という感覚が二重にも三重にも襲ってきます。
肌色のパーツを切っているときの背徳感、服と肌の織りなす隙間を片目で眺めているときの背徳感、そして髪の毛を触りながらそのエッジを確かめているときの背徳感。
「プラモデル」だから自分で組まなければいけないのですが、女の子の(歌手の!)パーツをひとつひとつ触る行為というのはまったくの非日常です。
そして執拗な色分けを前に、「プラモデルだから塗る」という我々の常識は崩れ去ります。いや、美雲さんはわりとシール成分が多いのでやることあるんだけどね。

「プラモデル」という体裁をとりながら、我々の「プラモデルの常識」をガシガシと崩してくるこのプロダクトは
決して「スゴい技術」で作られているのではなく、むしろ「アイディア」とか「どうビビらせてやろうか」という企みをふんだんに感じる「何か」です。
先日紹介したRGのシナンジュしかり、PLAMAXのミンメイしかり、プラモデルは特定のジャンルで「モデラーがいままでどおりモデラーではいられない」という
明らかに従来とは違うゾーンに現在進行形で足を踏み入れています。

この美雲さん、あなたならどうやって「作り」ますか? それとも、「作らされて」ひれ伏しちゃいますか?
そういうナイフリッジを歩くようなスリルを貴方も感じて、「俺のほしいものってなんだっけ!」というのを自問自答してみてください。
メッチャ面白いです。美雲さん。

そうそう、マクロス⊿ってどうやって終わるんでしょうね……そもそも終わるのかな……。






# by kala-pattar | 2016-09-23 00:34 |  →SPRUE CRAZY | Trackback | Comments(0)

日経ビジネスオンラインさんの『シン・ゴジラ』上陸ルートを議論する記事について言いたいこと。
ひさびさに猛烈な怒りを覚えたのでブログを書きます。
怒りの原因はこのネット記事です。

この記事は各界のキーパーソンや人気連載陣に『シン・ゴジラ』を読み解いてもらうキャンペーンとして展開されている
「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」という連載の9/17掲載分であり、松本 健太郎氏(マーケティングメトリックス研究所 所長)によるものです。
全文は日経ビジネスオンラインの無料会員登録が出来ないと読めないということで、無料会員登録の上拝読しました。

概要はタイトルから分かるとおりですが、その意図は最終段にまとめられています。
「断片的な映像を地図に当てはめることで、考えられる仮説と、様々な事実が浮かび上がってきました。
文章ではなく、グラフなど図化して気付くこと、閃くことがあります。
グラフとは、視覚的に文章を表現することなのです。それが今回の上陸進路マップで伝われば幸いです。
恐らく庵野監督は分かっていて映像を出しているのではないでしょうか。
私のような「断片的な情報を繋ぎ合わせて事実を浮かび上がらせる」ことが好きな人間に、格好のエサを与えていただいて感謝します。」
とのことです。

記事冒頭で
今回は何度も鑑賞し、パンフレットを読み込み、ブログ「音楽と城と時々アニメ」さんの記事など、ネット上での様々な意見を自分なりに咀嚼しながら、
ゴジラ初上陸・2回目上陸の進路を推測してみました。今後、シン・ゴジラについての議論をする際の基本資料となるようなものを作ることを目指しました。
と書かれていますが、「ネット上での様々な意見」のひとつに本ブログのエントリである
大田区生まれのオレが写真でたどる『シン・ゴジラ』第一次上陸ルート(タバ作戦もあるよ)が含まれているのではないか、というところから議論します。
(もし「読んでいない」と言われたらその反証を示すことは不可能なのですが、だからといってこのエントリの価値は損なわれないと判断してあえて書きます。
また、他にも引用されているブログがありますが、こちらについても同じことが言えると思うのでここで意見を表明させてもらいます。)

結論から言うと、『シン・ゴジラ』という映画の面白さがどこにあったのかを議論することには意味がありますが、
断片的な情報(映画の中のシーン)からつじつまを合わせるために持論を組み立てるのはとても不毛で不愉快な行為なのでやめてほしい、ということです。
シン・ゴジラはとても面白い映画でした。面白い映画であると同時に、とてもガバガバな、つじつまの合わない映画でもあります。
その「ガバガバさ」を受け止めるには、「リアル」と「リアリティ」の違いを理解する必要があります。

街頭記事の1ページ目で
上陸地点については、「あやめ橋上陸後、北進ではなく西進して商店街を横切り池上通りに進んだ説」が一部にありますが、これは採択できません
という記述が出てきます。
少なくとも菖蒲橋上陸後に西進して商店街から池上通りに至ったルートについての話をしている言説は私が書いたもの以外に見たことがありません。

まずひとつ、
私が先述した自分のエントリでやったことと書きたかったことは
「ゴジラが通った道をまるまるトレスしてそのレポートを書くこと」ではなく、ゴジラが現れた地点を繋ぎながら、大田区の現在の姿を描き出すことです。
自分の足で「ここがロケ地となった」という地点を次々と訪問し、写真を撮り、自分の地元が見せる新しい姿を文章にしました。
そして当該エントリでも書いているとおり、シン・ゴジラの劇中で描かれた風景はあくまで「点」であり、それを「線」で繋ぐと辻褄が合わない、
すなわち作劇のために「どんな風景にゴジラがいるべきか」をスタッフが真摯に選択し、辻褄よりも映画としての印象を残すための努力をした、ということを理解しました。
ネガティブに書けばそれは現実の改竄であり、ポジティブに書けば「どうすればゴジラという映画が魅力的に見えるか」を現実だけにとらわれずしっかりと考えた、ということです。
だからこそ、自分の通ったルートがゴジラのルートと一致するわけはないし、そもそも誰もその「ルート」を辿ることなど不可能なのです。

松本氏はその後の「出現地点」や「劇中でのセリフ」とつじつまを合わせるために
「菖蒲橋から西進からは北上ルートを取った」「環七を左折して春日橋を通ればJRの線路を破壊せずに池上通りに到達する」
「大井町駅南の跨線橋にてふたたびJRの線路を破壊せずに海側に出た」という論を展開します。
多少の推測が混じりながらも、この道を通ったであろうという確信をもって初上陸の進路をマッピングしました。
と前置きをしていますが、他人のブログの意図を知ってか知らずか、その記述を「採択できない」としています。

これはつまり、他人の記述を引き合いに出しながら「オレのほうが正しい」と言っているのと同じです。
自分の書いたゴジラの進行ルートこそがシン・ゴジラを語る上での議論のベースになる、と書いているとおり、「正確性」を得ようとしています。




DSC03237


はっきり言いましょう。それはまったくもって無駄なことです。「正確なこと」などこの映画にはないからです。
「リアル」と「リアリティ」を履き違えた、典型的なミステイクです。

なぜか。
私は呑川を実際に遡上し、劇中に登場した通りの風景やビルディングがどこにあって、少なくとも「ゴジラが出現したように描かれている場所」を見たからです。
実際に上陸シーンがあれば別ですが、ゴジラが上陸した場所はわかりません。それは設定にはあるかもしれませんが、現段階ではわかりません。
松本氏はいきなり蒲田駅前のパチスロ屋が大写しになる描写を記憶しておらず、どこにどんなビルディングが写っているかも無視してルートを構築しています。
無視しないと「登場した場所を繋げばルートを描ける」という大前提が崩れてしまうし、そもそも詳しく見ていないし、現場検証もしていないからです。
「だからオレのほうがエラい」と言いたいのではありません。そもそもゴジラの進行ルートなど、誰にも描けないのです。それはリアルではなく、リアリティだから。
ゴジラの正しい進行ルートなど、庵野秀明にも、樋口真嗣にも描けないのかもしれません。
理由は先述したとおり。
この映画は、線を見せたいのではなく、点としての画でゴジラを活写することに注力しているので、線でつながっている必要が無いからです。

先述した松本氏の論はすべて状況証拠で適当に書いた内容です。劇中には菖蒲橋から西進しなければ撮れないカットが確実にあります。
環七がJRを乗り越える春日橋の実態を知っていればゴジラがそれを渡って池上通りを右折する描写が滑稽なのもすぐに分かるはずです。
大井町駅南の跨線橋を渡るという推察も同様です。どの推測も「ただ点と点をつなぐために地図を辿っただけですね」以上でも以下でもないからです。

そもそもゴジラはなぜ呑川を遡上したのか、というところでこの誤謬に気づけないのは、とても貧しいことです。
羽田沖からズルズルと泳いできたら、どう考えても多摩川に行くのが当然だからです。なのに、シン・ゴジラのスタッフは舞台に呑川を選んだ。
その時点で「ああ、不自然だな。だけど、大河をぽつねんと遡上してくるよりよっぽど怖いな」と思うべきです。
そして「映画を撮るということ、すなわち現実の風景を拝借して意図を表出するというのはこういうことなのか」と思えなければ、この映画を観たとは言えないでしょう。

狭くて両側に住宅の迫った生活河川を、プレジャーボートをひっくり返しながら遡上するゴジラを撮り、
蒲田駅前を封鎖してエキストラの迫真の演技を撮影し、6車線の国道よりも画像処理が容易で破壊的な演出のできる池上通りを空撮し、
品川神社の階段を駆け上がりながらフレームの外にいるゴジラに恐怖する市民を描き、初代ゴジラをモチーフとした八ツ山橋をクライマックスに持ってくる。
庵野秀明は「画の人」です。これらの画を矢継ぎ早に繋ぎ、東京南部の海岸近くを禍々しく破壊するゴジラの姿を描くことが第一だったはずです。
それらを線でつなぎ、これこそがゴジラの歩いた道であるというのを断定的に示し、オレのほうが正しいと書くのはとてもプアーなことです。


DSC03268


シン・ゴジラの素晴らしいところは、「虚構」をいま、ここにある「現実」の積み重ねをベースに描いたところにあります。
しかしゴジラというものをモチーフにしている以上、それは絶対に「現実」ではありえません。
「現実(=リアル)」の持つテクスチャを集め、いかに「実感を伴った虚構(=リアリティ)」を描いた映画なのか
そしてそこから我々がどんなことを感じたり、学んだり、考えたりするのか。そういう議論は大歓迎です。
件の連載でも、石破茂氏の論などは(賛否あることはさておき)そうした前提をしっかりと理解して展開されています。
が、松本氏の我田引水な思考法と、机上でかき集めて地図を観ただけで編み出したプアーな文章は、まったく支持できません。
少なくとも、いまはソフトも資料集も出ていない故に個々人の記憶に頼らざるを得ず、議論の材料も検証方法もないのですから。

面倒なオタクが「松本よりオレが正しい」と言いたいのではありません。
誰も正しくなりえない議論を、「俺が正しいはずだ」「俺が真実を見せてやる」という信念のもとに展開するのは不毛だ、と言いたいのです。

日経ビジネスオンラインのこの連載はとても人気があるようで、書籍化も企画されているようです。
しかし、自分の論を築き上げるためにつじつまを合わせようと罠にハマり、参考にした記事に明確に書いてある意図を読まず、
ルート解説でもって「正しさ競争」をしようとするこの記事について、私はまったく賛同できないし、非常に腹立たしく思います。
日経ビジネスオンラインさんが「この連載で何を浮き彫りにしたいのか」ということを見失っていないことを願います。

※落ち着いて考えたら抗議じゃなくて「言いたいことがありまーす」レベルだったのでタイトル変えました。

# by kala-pattar | 2016-09-21 00:47 | ニュース/怒り/愚痴 | Trackback | Comments(0)





超音速に更新するつもりが亜音速だったり遷音速だったりして。ゆるゆるとまとまりの無い感じでお届けしております。コンタクトはkala_pattar0415 あっと yahoo.co.jpまでどうぞ。
by kala-pattar
プロフィールを見る