昏睡と年越のマレー半島漫遊記 【その8】

僕らは船にてドーンサックの港にたどり着くと、スラートターニーのバスターミナルまでバスで行き、
そこで大きな2階建ての長距離バスへと乗り換えた。

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▲バンコクまでは700km(東京〜青森間くらい)。


バスはするすると国道を北上していたが、1時間ほど経つと周囲に何もない所で路肩に停車した。
そのまま30分ほど音沙汰なく、車内のイライラが最高潮に達した時、一台のバスが僕らのバスの後ろに現れた。
運転手は英語が一切通じず、身振り手振りで「バスが壊れたから代車に乗れ」と乗客に伝える。

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▲ここが運命の分かれ道。


あろうことか、代車はもとのバスよりもシートが2つ少なく、そしてラゲッジスペースは満タンだった。
トイレや通路に荷物が積まれ、そして2人の乗客が座席を失った。
その間抜けな2人は、僕と北欧から来たと思しきバックパッカー女子であった。
後輩はちゃっかりシートを確保しており、こちらを見ながら「うへー」みたいな顔をしていた。殺す。

僕は北欧女子と「どうすっぺ」「まーしゃーないべ」などと言葉を交わしつつ
階段に身をねじ込んでこの先数百キロの旅路を呪いに呪った。
さようなら、ブランケット。さようなら、リクライニングシート。

しかしバスの揺れは耐え難く、ケツは痛く、外の景色は見えず、周囲はいびきをかく白人の列。
「これはバンコクまで一睡もできねーな」と思ったら、ものの数十分でバスはふたたび停車した。
そこはロードサイドに建てられた大きめの食堂であり、カレーやら焼きそばやらを売っていた。

「バンコクまでの休憩はここで最後だ!」と叫ぶ食堂の親父。
ここで異様に旨い物体を食ったが、麺だか米だかすら覚えていない。
後輩は「いやーきちいっすねー」とか軽口を叩いていた。

バスに戻る時刻になり、ふとひらめいた僕は運転席の横、乗降口のステップに陣地を変えた。
眼前に広がるフロントグラスと多少なりとも尻の収まる余地。
しかし容赦なく吹き付ける冷房が僕を襲う。

「おい、椅子ねーよ」と運転手(タイ人2人組)に言えども、奴らに英語は通じぬ。
しかし「椅子はいいからそこの休憩室に置いてあるブランケット、貸してよ」と言うと、「やだ。」と素早い反応をもらう。
絶望的な気分になりつつ、ダウンジャケットを羽織りつつ、眼前の景色をただ見つめるだけ。
次に気づくと僕は運転手に肩を叩かれていた。

そう、爆睡していたのである。そして確信した。「ああ、俺どこでも寝れるな」と。

そこはバンコクまでもうひと息といった距離にあるフアヒンという街であり、何人かの旅人がバスを降りた。
僕はようよう座席を手に入れ、追加の爆睡を貪った。
そして、予定の時刻よりもずいぶんと早くバスはバンコクに到着した。

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▲長い旅路であった。


朝4時台のカオサン通りで何軒かのゲストハウスを当たり、部屋を確保した僕らは
太陽が昇るまでのつかの間の闇の中、目ざとく酒場を発見してバンコク到着を祝った。

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▲明るくなる前に酩酊せよ!


ハウスを聴きながら、酒を呷りながら、またどうでもいい話を後輩とダラダラして、
一晩我慢していたタバコを吹かし、やがて空が少しずつ白んでいくのを目にし、僕はひとつの提案をした。

ブータンに行った帰り、ふと足を運んだ暁の寺。
あれは夕方だったけど、本当に暁に照らされていたら、どんな感じなのだろうか。

僕と後輩は眠気と酩酊をズルズルと引きずりながら、カオサン通りからワット・アルンまでの道のりを歩いた。

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▲クソ眠い。


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▲俺もこうなりたいくらい眠い。


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▲坊さんにはナチュラルにみんなが寄進していてすごい。


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▲うまそうだけど、眠い。


かくて暁の寺は変わらずチャオプラヤー川のほとりにドデンと建っていたが、
やはりなんというかあまり威厳はなく、まあそんなもんだーなーとちょっとがっかりした。

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▲思い入れの強い寺だけに、どうも現実より脳内で盛ってる感ある。


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▲さすがに帰りはトゥクトゥクを飛ばした。



酩酊早朝散歩を済ませた僕たちは宿に帰り、バンコクの午前中を爆睡で溶かした。

つづく
by kala-pattar | 2013-01-14 02:43 | 行ってきた