【超音速漫遊記 その8】海の幸を放り込んで


パエリヤはスペインの食べ物だけど、チリもスペイン語を操る人々の国であり、
すなわち僕がサンティアゴでパエージャを食べることは義務に等しいものだった。

とはいえ、ホテルの屋上は快適至極で、ダラダラとそのミッションは後ずさりしていく。
Wi-Fiとインスタントコーヒーを啜りながら、日がな一日クッションの効いたベンチで寝転がっていた。
空が夕方の色を帯びるのは午後8時くらいであり、夜になったな、と知覚するのは10時である。
太陽が優勢を誇るサンティアゴの空は青く、コーヒーに飽きて飲むワインは格別だった。

パエージャが名物のレストランはホテルから少し歩いたところに店を構えていて、
ダラダラとそこへ向かうと「パエージャを作るのには時間がかかる。食べたければ予約してくれ」と言い渡される。
仕方なく頼んだ魚介のアヒージョはひたすら旨く、ワインをしこたま呑んで寝た。

翌日の屋上もまた極楽かと思うほど快適であり、Wi-Fiとコーヒーを啜って過ごす。
とはいえ街を見ないのは勿体無い、とバスのチケットを買いに行ったり両替したりスーパーを覗いたりして、
洗練された街並みとソフィスティケートされた人々の佇まいに親近感を覚えながら、
南米イチの経済大国に来た実感を味わう。

腹を空かせた我々は、メルカドセントラル(中央市場)へと足を運んだ。
同行者は「有名レストランではなくて、地元民しか集まらないオヤジの経営する小汚いスタンドのほうが旨いんだ」と言う。
ならばと狙いを定めて座ったスタンドのおばちゃんにビールと貝のスープをオーダーすると
「冷たいのと暖かいのがある」と言うではないか。

二人でそれぞれをひとつずつ頼んでシェアしようと決め、ビールを飲みながらサーブされるのを待っていた。
オヤジはビニール袋に入れたオリーブオイルを氷の中に突っ込み、生の貝を皿に盛り付け始める。
冷たいスープとはすなわち、貝を煮たあとに残ったスープを冷やしたものとオリーブオイルとさまざまな種類の生貝とを混ぜ、
そこにパクチーと塩コショウを大量に入れて食べるというなんとも粗野な料理であった。

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暖かいスープは貝にもよく火が通っていて味付けも抜群だったが、問題は冷たいスープである。
まるで海をそのまま胃の中に流し込んでいるかのような生臭さはどこか興奮を呼び起こすものであった。
「危ない」と感じるか、「美味い」と感じるかの瀬戸際でゆらゆらしながら、スプーンを何度も口に運んでいると
同行者はいつの間にか視点を遠くに投げたまま押し黙っていた。

強烈な食べ物を完食し、少しの休憩をとってからもう一度メルカドセントラルのなかに戻る。
有名レストランの席に座り、よく火の通ったタコのアヒージョとワインを摂取して、そこで同行者はようやく元気を取り戻した。

Wi-Fiをツマミに呑むワインをスーパーで買ってから、しばし夕暮れ時のサンティアゴの空の下でゴロ寝していると
同じホテルに宿泊する人々が代わる代わるタバコを吸いに来たり食事を取りに来たりしては僕らに話しかけてくる。
どこで何をしていて、この旅はどれくらいの期間で、次の目的地はどこなのか、といったような話をしながら
ゆっくりと、しかし確実に暗くなって行く街並みはとても美しく、何日でも滞在したい気持ちにさせるものだった。

予約の時刻を少し過ぎて辿り着いたレストランでは、出来立てのパエージャが待っていた。
二人前と言うには多すぎるパエージャを旨い旨いと叫びながら平らげた我々の身体は、久しぶりに海の出汁で満たされていた。

ワインを何本か空け、あまりにも心地よいサンティアゴの街の中を、再び重たいバックパックと三脚を担いで歩く。
夜のバスターミナルには"Mendoza"という文字を光らせてバスが待っていた。

陸路の移動が、ふたたび始まる。
満腹の我々はバスに乗るなり無口になって、いつしか眠っていた。

by kala-pattar | 2014-02-19 21:43 | 行ってきた