【超音速漫遊記 その11】停電、牛肉。

明くる朝も停電は続いていた。
蒸し暑い屋上でクロワッサンを熱いコーヒーで胃に流し込み、タバコを吸って目を覚ました僕は
カメラを携えて宿の周りをうろつきながら、通り一遍の絵葉書のような写真を撮ることにした。
摂取した水分はことごとく汗へと変わり、なにか飲むものが欲しいと思った僕は
キオスクに駆け込んでペプシコーラを店の冷蔵庫から取り出した。
スペイン語でなかなか覚えられないのが数詞だ。とくに10を超える数字はとっさに聞き取れない。
気の良さそうな店主にとりあえず大きめの紙幣を出したところ、
「釣りがめんどくさいからもう少し小さいのを出せ」と札を突っ返された。
財布をまさぐって検分するも適正な紙幣が見つからないので「これで」と当初の札を出す。
釣りを出してきて「ちょっとまって」「え、何……」みたいなやりとりをしているうちに
財布のなかの札が1枚偽物にすり替わっていた。もっとも、この詐欺に気づいたのはその夜のことだった。
この旅初めてのトラブルだったが、これもまあ海外旅行の洗礼だと思うしかなかった。

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停電したままのホテルでは携帯の充電すらできなかったので、昼をまったりとカフェで過ごしながら
ビールとインターネットを摂取していると、どうやら同行者が目を覚ましたようだった。
よう、とiPadを携えて同行者が席に座ると、ふたりとも黙って各々の端末に没頭した。
日本にいる友達のことや辞めてきた会社のことやボリビアで別れた旅行者のことなどをネットの海から拾って眺め、
窓の外では停電の原因となっている分電盤の火災に対処する工事のおっちゃんがヘラヘラ笑っていた。
具体的な作業はなにもしていないようだったし、復旧の見通しを尋ねても、芳しい答えは帰ってこなかった。

ローソクの明かりで用を足したり、シャワーを浴びたり、選択したり景色を眺めたり、
またカフェに行ってインターネットをしたり不味いピザやぬるいアイスコーヒーを飲んだり、
ホテルの屋上でタバコをふかしてボーっとしているだけで、一日は過ぎ去っていこうとしていた。

昨日呑んでいたアイリッシュパブで僕はブエノスアイレスのクラブ事情を検索していた。
いちばん大きなクラブはPachaと言って、その日は僕の大好きなMARK KNIGHTがプレイすると書いてあった。
同行者はどこまでクラブに興味があるのかわからなかったが、とりあえず晩飯を食ってからそこに行こう、と提案した。

蒸し暑い街を、ドバイで買ったクロックスもどきと短パンを履いて歩いた。
地下鉄に乗って丸ノ内線の姿に驚く同行者を楽しく眺め、そしてタクシーに乗ってダウンタウンへと向かった。
目当てのステーキ屋はLa Cabreraという名前で、洒落た店構えとその周りの景色はまるで恵比寿の路地裏のようだった。
テラス席で豪快に肉を頬張るポルテーニョを尻目に、店の前に据えられたパラソルの下でリザベーションをして
ウェルカムシャンパンをちびちびと飲みながらメニューを眺めた。
どれがステーキなのかと店員に訊いたら、すべてステーキなのだった。
アルゼンチンでは、肉の種類と料理の方法がメニューをぎっしりとうめつくすほど多彩なステーキが楽しめる。
そしてこのラ・カブレラはラテンアメリカでトップ50に入るレストランながら、安くて旨い肉を供していた。

テラス席に通された僕らはそれぞれ違うステーキをオーダーして、パンをモサモサと食べながら肉の登場を待った。
メインは本当に本当に美味で、店の雰囲気は良くて、向かいに座っている同行者とワインをバンバン開けながら、
僕はこれ以上の幸せがあるんだろうかと思ってしまうほど感動していた。
陳腐な言い方だけど、旨いマルベックと旨い牛肉と生温い空気と、落ち着いた一日に感謝していた。

隣のテーブルにはスイスから来たという僕らと同じ年頃のカップルが座った。
美男美女で、学があって、社交的で、紳士的で、そういう人たちはあたりまえのように話が上手だった。
語彙の不足を恨みながら、僕は女性と、同行者は男性とおしゃべりを楽しんだ。
ワインを呑んで水を呑んで、デザートを食べながら、そのカップルの境遇を心から羨ましいと思った。
長いこと付き合っていたふたりは休暇をフルに使った旅行の間に結婚することになって、
クリスマスには親元に帰ってみんなで会食をしながらその報告をするのだという。

どこからともなく、ワイワイガヤガヤとした一団が通りかかる。
ウエディングドレスを着た女の子と、キリッとした格好の男の子と、その取り巻きが車道で騒いでいる。
車はその幸せな一団にクラクションを鳴らすでもなく、ドライバーもニコニコ顔で彼らを眺めていた。

なんだろう、俺は南米でなにしてるんだろう。なんでこんなに幸福がジャブジャブと垂れ流されているんだろう。
何も考えられなくなって、話も尽きてきた頃に、僕ら4人は当たり前のように1台のタクシーに同乗していた。
夜のハイウェイを飛ばして、国内線の空港をかすめて、間近をB737がテイクオフしていく道の半ばに
Pachaと書かれた白い建物がぽつねんと建っていた。

OPENしてからいくぶん経っているであろう時刻にもかかわらず、クラブの前庭にはちょっとした行列ができていた。
その理由は厳しいボディチェックであり、いかつい黒人のセキュリティがていねいに一人ひとりのカバンを確認していた。
僕も散々プレイしたカルヴィン・ハリスの”Bounce"がハコの中から漏れ聞こえてきて、僕はどうにかなりそうだった。
さっさと入って酒を呑んで、この幸せモードの延長線上で音にまみれてしまいたかった。

「短パンはダメだよ」

セキュリティに冷たく言い放たれた時の無念さと言ったらなかった。
俺もスイス人の彼も短パンで、よく見ればPachaの前庭には短パンで行き場をなくした男たちがたむろしていた。

誰が悪いわけでもなく、誰を責めたいわけでもなく、僕らは薄ら笑いを浮かべながら行き場を考えていた。
このまま帰って寝る、というのはちょっと違った。明確な理由はなかったけど、それは総意だった。
結局飲み屋街に行って恐ろしくサーブに時間のかかる居酒屋に入り、さして旨くもない酒を飲みながら
それでも幸せそうなカップルと僕らはいろいろと話をして、睡魔に勝てなくなった頃にタクシーで各々の宿へと帰った。
宿の屋上に辿り着いた頃には薄明を迎えており、すこしだけ冷たい空気を感じながらまたタバコを吸って、
夢の中から一気に引き戻されるような感覚にちょっと恐ろしくなりながら僕はベッドに潜り込んだ。
by kala-pattar | 2014-04-10 23:31 | 行ってきた