「ビギナーは高額なツールを持っていない(持ってはいけない)」という思い込みはやめようよ、って話。

「初心者が読むような本にいきなり1000mmオーバーの焦点距離で鉄道を撮った写真が載ってる」
(=そんなん初心者向けじゃないやろ、というニュアンス)みたいな話を目にしたのでちょっと書く。

望んだ画が1000mm以上の焦点距離のレンズじゃなければ撮れないものなら、初心者だろうがプロだろうがそのレンズが必要だ。
テクニックとかセンスとかの問題じゃない。そのレンズがなければ撮れない画は、努力しようが練習しようが天才だろうが撮れない。
何が言いたいかというと、機材の高い安いと経験値の間にはなんの関係もない。

自分は初心者なのでまず安いレンズで練習します、と言ったところで、
練習してるうちにレンズが伸びたり縮んだりするわけじゃないし、暗いところで撮れるようになったりするわけでもない。
もし1000mmオーバーのレンズでしか撮れない世界をどうしても観たいのならば、今日初めてカメラを買った人だろうがカメラ歴30年だろうが、
そのレンズを買わなければ「撮れない」のである。

趣味には2種類あると思っていて、
・すでに成果物として世にあるものを観察し、系統だてて自分なりに評価し、価値があると思うものに投資するタイプのもの
・道具やその使い方を手に入れて、自分がなにかに作用することで結果/成果物を得るタイプのもの
に大別されるんじゃなかろうか(複合的なのもあるけど)。

で、それぞれの入り口はけっこう真逆のところにあって、自分の場合
前者は「手頃なところから興味を持って、対象物をより深く知りたいと思うようになり、結果どっぷりハマる」
後者は「圧倒的な成果物を目にした時に、それを自分でも再現したいと思うようになり、結果どっぷりハマる」
というルートをたどることが多い。

この両者を混同すると大きなミステイクをやらかす。

「道具やその使い方を手に入れて、自分がなにかに作用することで結果/成果物を得るタイプのもの」については、
最初に手にする道具が優秀であればあるほど(それは高価であることが多いが)望みの成果物への到達距離が短くなる。
テクニックについても習熟スピードが上がるし、せっかく手に入れた道具はより上手く使いたいしモトを取りたいという欲も出る。
安い道具は安いなりの理由があって、それをどう使えばより良い結果が出るのか自分で考えなければいけなかったり
そもそも高い道具にはあたりまえのようにできることが逆立ちしても出来ない、ということがある。

高いカメラには安いカメラに搭載されていない機能があるし、高いレンズには安いレンズに撮れない世界がある。
趣味は覚悟の物語である。
好きだから/楽しいから/オタクだから/マニアだから/上級者だから高いものを買うのではなくて、
より良い結果を得るにはどうしたらいいか考えた結果、道具に投資できる人が投資するのである。
安い道具でも成果を出せる人は「良い結果が何か」を知っている人か、それを意識せずとも見せることのできる天才である。

ビギナーはそのスキルやテクニックやセンスの不足を埋めるために、高い道具を買えばいいのだ。
とはいえハイエンドにはおいそれ手が届かない。
だからといって、道具を安い順に選択していくと得られる結果が向上せず、趣味は楽しくなくなり、やがて放り投げてしまうか
あるいは文句を言い続けることで憂さ晴らしをする別の趣味に走ってしまう。

あなたがもしもビギナーで、ある日ある場所で憧れた圧倒的な成果物に近づくには、圧倒的な道具に頼るべきなのだ。
もしハイエンドに手が届かなければ、上から順に比較検討して、どのラインなら投資できるかを考えていくべきなのだ。
安いものには理由がある。難しいけど普及しているものにも理由がある。
そしてその道具は絶対にできないことがある、と気づいた時に、ハイエンドの真の価値に気づくだろう。
同時に、自分がそれまで使っていたもので何を培ってきたのかについても深く理解できるはずだ。

「安いもの、取っ付きやすいものから初心者がステップアップしていく」というのは
コレクションや鑑賞といった趣味においてひたすら正しいと思うし、自分がより深く広い知識を得ていく快感や
自分の周りに良い物がどんどん増えていく楽しさも大いに理解できる。

しかし、自分が作用して成果を得るタイプの趣味についてはその限りではない。
良い物を使って、良い成果物を得ることは楽しい。
安いものを使って良い成果物を生み出すには、圧倒的な才能か努力が必要だし、
そもそも「良い成果物とはなにか」という確固たる判断基準がなくてはならない。

経験者が初心者に対して何かを言う時、あるいは自分の趣味について理解をされたいと思った時、
少なくとも値段やスペックと経験値を結びつけて語ってはいけない。
もしくは新たに趣味の扉を叩いた人々を「ロクな道具を持たぬ者/持ってはならぬ者」と決めつけてかかってはいけない。
僕はそういう考え方をしたいし、
「初心者」という虚像を勝手に作ることはすべての趣味にとってあまりよろしくないな、と思う理由はここにあります。

by kala-pattar | 2015-07-17 00:19 | すごくどうでもよいこと | Comments(0)
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