そろそろ、『ローグ・ワン』の話をしようか。
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忘れてはいけない、我々はこれから毎年毎年、12月になると「新しいスター・ウォーズ」を見せられるのだ。
アナキン・スカイウォーカーにまつわる物語は俺の中で完結しているけど、そんなことはお構いなし。
知りたくもない歴史のスキマの出来事はことはおろか、知ったこっちゃない話まで映像になるだろう。
それでも公開初日になれば「ちっ、しょうがねえな」という気持ちを携えながら、俺たちはチケットを握りしめて映画館に行くのだ。

『フォースの覚醒』をひととおり褒めてみたけど、どこかで自分を騙しながら暮らしていた自分は
昨年末の『ローグ・ワン』公開日も、寝床から"しかたなく"チケットを予約し、会社を定時に抜け出すと映画館へと走った。





スクリーンが暗転すると、馴染みのファンファーレも無ければ、黄色いクローラーもない、いつ、誰の話なのか知りたくもないようなスター・ウォーズが始まった。
なんだか知らん人がなんだかトラブルに巻き込まれて、なんだか大変なことになる。
ジェダイ信奉者たちの都市を、アノニマスでアイコニックなストーム・トルーパーが闊歩し、空にはスター・デストロイヤーが浮かんでいる。
好きなものが、知らないものの周りにまとわりついている。
騙されるな。これはスター・ウォーズじゃない。スター・ウォーズに出てきたメカが、たまたま他の映画にカメオ出演しているだけだ。
お手並み拝見といこうじゃないか。

眠くなるようなお話と映像が延々続き、「ああ、こりゃSWファンでも相当な中毒者じゃないと見られないだろうな」と
"何様目線"が自分の中でむくむくと湧き上がる。ブログでどうやって褒めたらいいだろうか。何を書こうか……。
そして、舞台はデス・スターの設計図があるという、惑星スカリフに移る。

ここから先の記憶は、ほとんど吹き飛んでいる。
正確に言うと、涙で何も見えなかったのだ。

なぜ泣く。自分は何に泣いているんだ。

そこにはXウイングがいて、TIEファイターがいて、レッドリーダーやゴールドリーダーがいて、
ワープアウトする反乱同盟軍の艦艇たち(そこには病院船やツナ・シップさえいるのだ)はスター・デストロイヤーと交戦する。

どうしてくれよう。
模型じゃないか。

ローグ・ワンは貴方達に「キミはスター・ウォーズの何を見ていたのか」を問うてくる映像作品である。
キャラクターなのか、お話なのか、音楽なのか、チャンバラなのか、親子の絆なのか、理力というファンタジーなのか。
そして、俺はスカリフの上空で悟ったのである。

なんのことはない、俺はスター・ウォーズを見ていたのではなく、「スター・ウォーズに出てくる撮影用の模型」に憧れ続けていたのだ。
それをごまかしごまかし、延々と「サーガだ」「親子だ」「フォースだ」と吹いて回っていたのである。

スター・ウォーズというのは、模型の映画である。
樹脂の神様とジョージ・ルーカスとが出会って産み落とされた、樹脂のポルノなのである。
プラモデルを寄せ集めて作られた奇想天外なカタチの宇宙船がノロノロと動き回る宇宙が、俺にとって最大の「リアリティ」の根源であり
それ以外のことは全部おかずであり、オマケであり、ツマのようなものだった。

2016年の映画館で、何万回と食い入るように見た模型が動いている映像に出会うなんて。
「何言ってんだ、あれはCGだろ」という人もいるかもしれない。でも、それは違うのだ。
模型で再現されたカタチ以外、許せんのだ。結局、そういう偏屈で近視眼的でどうしようもない認識の持ち主だったのだ。自分は。

いくら説明しても同じ目で見ている人としか共有できないのだろうけども、
ビークルの動線も、カメラの画角も、動きかたも、影の落ちかたも、パーツの透けかたも、ディテールの甘さも、何もかもが
「77年のあの映画につながるように作らなければならない」という意志のもとに作られているのだ。
そう、ローグ・ワンが、あの"樹脂の映画"へとつながるには、
現代のコンピューターの持てる力をすべて使って、"樹脂の映画の模型"を作ることが命題だったのだ。

SWに熱中した子どもたちが育ち、ふたたび樹脂の神との交感によってのみ、SWを作りあげたことに感動する。
……なんと卑屈で、なんと矮小な映画の楽しみ方なのだろう。
俺が散々バカにしてきた、「一年戦争のMSしか認めないオタク」と何が違うんだろう。

そう思って、この映画を作っていた人たちがデザインワークにどんな気持ちを込めたのか知るために一冊の本を買った。

アート・オブ・ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

この本は、絶望の書である。
スター・ウォーズユニバースにおける「新たなデザイン」の不可能性を証明してしまっているようにすら、思える
XウイングやTIEファイターに負けないキャラクターを作り出そうとして、挫折した男たちの、誇らしくも悲しい、白旗だ。

ローグ・ワンに登場した新たなデザインのメカたちが、いかに忸怩たる思いの上に成立し、そして敗れ去ったのか。
スカリフの上空で、最後にスクリーンを埋め尽くすのは、ラルフ・マクォーリーの描いた「かつてないほど新しく、そして古びたメカたち」であった。
おそらく、スター・ウォーズというシリーズにおいて、この構造を覆すことは一生できないだろう。
1977年に起きた創世のそのあと、樹脂の神は微笑み続けるのだから。
イミテーションと、輪廻の渦の中で。



by kala-pattar | 2017-01-11 22:43 | Movie&Books | Trackback | Comments(2)

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Commented by マロニー at 2017-01-12 16:32 x
いつも楽しく拝見させていただいております。
非常に共感です。
が、プロップのゴチャメカの原型が「見える人」と「見えない人」では感じ方が違うかもしれませんね。そういう意味ではエピソードワンは樹脂の映画ではないと私も思います。
Commented by 合わせ味噌 at 2017-01-13 13:28 x
自分は模型のことはさっぱり分かりませんが、ローグワンのビークルの挙動が3Dモデルに適当に数値を入れて派手に雄大に見せようとしたものではなく、限りなくアナログのそれに近づけたものだと言う風に感じ、感動しました。
アニメも映画も製作にコンピュータが導入された90年代以降、メカは安っぽく適当に動かしてればいいという製作側の考えが透けて見えてて嫌になってました。
板野サーカスは手書きでやるから見応えがあるんだよ、その手間と職人芸が見たかったんだよ、と

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