【GNH】ゼロ年代終わりのブータンを旅行してきた。【その7】
2010年 01月 27日
やっぱりみんなゆるゆると起床する。



Kinleyが今日のスケジュールについて僕らに話す。
「今日はチェレ・ラに行くつもりだったのだが、冷え込みがすごくて
山道が凍結している。バスで行くのはあまりにリスキーだ。
そして君たちがネボスケなので、行くつもりだったお寺もキャンセル。
だからパロの街をすこしぶらぶらして、ランチを食べたらハ(Haa)に移動だ。」と。
そのあと、煙草を吸いながら彼はこうも話した。
「寝坊? そんなのまったく問題ない。君たちはバケーションを楽しみにここへ来ているんだ。
好きなだけ寝て、好きなだけ食べて、好きなようにしないといけない。
金髪のツーリストたちは違う。8時半に行動開始と決まっていれば、
時計を指差して『ほら、8時半だ、行こう』って言うけど、僕には理解できない。」
どこまでがリップサービスなのかよくわからないけど、
とにかくアイツは優しくて情熱的で頭のキレるイケメンだった。


2泊滞在したファームハウスとは今日でお別れ。
そこに住んでいる人たちともお別れ。
リアルにウルルン滞在記の様相を呈するみんな。
しかしこの国の人たちは何かにつけてドマをキメる。
ドマはビンロウジュの実をコショウっぽい植物の葉で包み、ガムのように噛む嗜好品。
口の中はザラザラになり、苦みとほのかな酸味で支配され、唾は真っ赤になる。
で、しばらくすると体温がボーッと上がってきて、
煙草を吸ったときのようなクラッとくる感覚が味わえる。
みんなで別れを惜しみつつ、家族全員と話しながらクチャクチャ噛むのである。
ばーさんもじーさんも、ガイドも日本人も。

何度も何度もグッバイだのシーユーだのカムバックアゲインだの言ったあと、
ファームハウスを出発。パロ市街へ。





みんな思い思いの店に入り、郵便局で切手やはがきを買っていた。
街中のレストランに集合し、年賀状を書きながらメシを喰う。
ガイジン向けレストランであったため、食事はいたって非ブータン的。
ここでみんな「あー辛いもん喰いたい」と言い出すあたり、すでに舌がローカライズされている。


昼飯を終え、「俺ら寝てるか喰ってるかビール飲んでるかで、ほぼ何もしてないね」と
口々に言いながら年賀状を郵便局に出してバスに乗り込む。
ちなみに現時点(2010/1/26)で年賀状はまだ一通も日本に届いていないようだ(笑)。
次の宿泊地、Haa(ハ)は言いづらいので、みんなHaa Valleyと呼んでいた。
パロからおよそ70キロ離れた小さな街で、インド陸軍の大規模な部隊が駐留している。
観光地化したのはごく最近らしく、Haaへ向かうハイウェイ(舗装路)もかなり新しかった。
およそ3時間あまりの移動。道沿いにはなにもない。


日が傾いた頃、インド陸軍のトラックが行き交うのを見てHaaの街に着いたことを知る。
パロより明らかに標高が高く、寒い。
そして大事なのは、この街に着いたところで、べつになにもないことだ。
子供だけがワーとかギャーとか言いながら走り回っていて、異様に人懐っこい。



泊まったのは超最新の高級ホテル、RISUM RESORT。
奇麗に磨かれた木造の部屋にはオイルヒーター完備で
(この国、電力だけは死ぬほど潤沢。電気機器類の充電には困らなかった。
電力も豊富だが電波も豊富。携帯はどんな標高でも常にバリ3なのである。)
個室も超奇麗でバストイレもアホほど奇麗でびっくりした。


このRISUM RESORT、なにが印象に残ったかと言えば、
メシが異常にうまかったことである。
食堂の従業員はネパール系の人らしく、
ファームハウスで食べたものよりも明らかにカレー。てかカレー。
しかしブータン的素材ももりもり入っているため、もりもり食べる。
ビールもじゃんじゃん飲む。

翌日はチェレ・ラ往復とティンプーへの移動が予定されていた。
明日こそ早く起きようと決意を固めつつ、部屋でUNOしながらビール飲んで、
奇怪な踊りを踊ったり半裸で氷点下の屋外に出たりして、笑いながら床に着いたのだった。
つづく
by kala-pattar
| 2010-01-27 01:58
| 行ってきた