藤本健太郎『タイポさんぽ』読了。

俺が常々Twitterなんかで言ってる話として
「俺は『俺、〇〇好きなんですよね』なんて、怖くて言えない」
というのがあるんだけど、
それの真意についてちゃんと説明したことはない気がする。

つまりどういうことかって言うと、
「俺、〇〇好きなんですよね」って言葉は同好に対するアピールだったり
「俺は〇〇について語れるんだぜ」っていう「そうじゃない人」に対するアピールだったり
多かれ少なかれ他人の目を気にした発言であるということ。

「あるモノを好きであること」をアピールする方法はいろいろあると思うのだけど
「俺は〇〇が好きだ」という前置きをしてから他人に語ろうとした瞬間に、
そこには責任とか裏打ちみたいなもんが必要になってくる。

もっと簡単に言えば、何につけてもお前より「〇〇が好き」なヤツが、世界にはゴマンといる。
だから、「好きであること」なんてアピールせずに、自分の中で好きな気持ちを噛み締めて
それが行動ににじみ出て、言葉の端々に漏れ出てしまって、家のコレクションに影響して、
結果として周りから「ああ、あの人は〇〇が好きなんだな」と思われるくらいでいい。

もしも「〇〇が好き」って言いたければ、いくつかの条件があると思う。
強いて整理してあげるとするなら、下記3つだろう。

・自分が好いている対象の範囲がどこからどこまでなのかを冷静に客観的に理解していること
・本当にそれが好きで、無意識下でもそのことに対する愛とか注意を向けることができること
・「〇〇のここが好き」というのをきちんと要素解析して他人に伝えられること

上記の条件を満たしていて、それが気持ちよく伝わってくる人に出会うことって
そんなに多くないのだけれど、『タイポさんぽ: 路上の文字観察』の著者、藤本健太郎という人は間違いなく最高に伝わってくる人。


タイポさんぽ
▲表紙がフヨフヨなのは読みながら寝落ちをカマし、寝返りを打ってしまった結果である。


『タイポさんぽ: 路上の文字観察』は、著者の藤本健太郎氏が街(例えばそれは看板であったり、パッケージであったりする)から「採取(=撮影)」した
オリジナリティあふれる文字たちを愛で倒す奇怪な書である。

「ヘンなもの」を愛でる文化とか、「舌っ足らずなもの」をバカにする文化ではなく
あくまでその文字のデザインについて、ブレずにその素敵さを語る。
何一つ悪口は書かず、愛情たっぷりに、リスペクトを込めて、文字をデザインした人(詠み人)の心意気に思いを馳せる。

恐ろしいのはそのサンプルの量と幅の広さである。
これはもう、どう考えても、眠かろうが考え事をしていようが酔っぱらっていようが、
自分が好きなものには必ず反応してしまうという対象への執念に近いものがなければ収集できない。
カメラをいつでも持ち歩いて、出会いのチャンスを増やさないと不可能である。

そしてすごいのが、なんかカワイイ、とか、なんかカッコいい、とか漠然とした言葉で語るのではなく、
その文字のどこがどういうふうに心をとらえ、そしてそれが何を理由にしたものなのかを
(時には果てしなくどうでもいい話や果てしなく嘘くさい理論を交えつつ)
本職であるデザイナーという立場、観点を軸にきっちりと僕ら素人へと伝えるその筆致である。

藤本健太郎『タイポさんぽ』読了。_b0029315_23561143.jpg先ほど挙げた三要素をきっちりと押さえた「好き」の発露にはすごい効果がある。
読者の心に「僕もなにか新しいことを始めよう」と思わせてくれる人というのはいつもあこがれだけど、
すなわちこの本にはそういうパワーが宿っている。

しかも、フルカラーで文字たっぷり、デザインも凝り凝りのこの"体験"がたったの1000円で買えてしまうのだ。
はーすごい。

ということで、買いましょう。
何かを好きになって、その気持ちを人に伝える方法を学んで、
さらに自分が新しいことを始めたくなる
おまじないのようなものがここには詰まってます。

『タイポさんぽ: 路上の文字観察』

by kala-pattar | 2012-08-27 23:57 | Movie&Books