酩酊と昇降のミャンマー探訪【その4】
2012年 10月 30日
目覚ましの音で目が覚めて、ムクリと上体を起こすと、そこは緑色に塗られた壁で囲まれた空間だった。
まだ窓の外は真っ暗で、そこがヤンゴンのとあるゲストハウスの一室だということに気づくまで数秒かかった。
隣のベッドでは後輩が死んだように眠っていた。
そうだ、昨日は中華街で飲んでいて、それから……。
左手を傾けるとG-SHOCKのLEDがオレンジに光り、針は4時を指していた。
▲こんな光景だった。そうだった。
▲汚い路地で、怪しげな串焼きをばんばん食いながら飲み散らかしたんだった。
▲メシは旨かったような気もするし、まあ普通の中華メシだったような気もする。
▲バッテリーとウーファーを積んだ屋台で大音量でミャンマーのポップスをかけながら宝くじを売る男が居た
僕らは隣のテーブルで飲んでいたミャンマー人3人組に声をかけられ、
お互いのしょうもない英語力でコミュニケーションを図り、そして死ぬほど飲んでいた。そりゃもう、記憶がほとんどすっ飛ぶくらいに。
彼らは弁護士だった。ミリタリーガバメントが支配するこの国での弁護士がどういう立場なのかはよくわからなかった。
「お前は東京で何してるんだ」と僕は訊かれた。
正直に職業を答えるのが面倒だったことと、酔っぱらっていたのも手伝って「俺は東京のトップDJだ」と冗談を言った。
そこから何がどう展開したのかは全く覚えていないが、3人のバカな飲んだくれ日本人と3人のバカな飲んだくれミャンマー人は意気投合し、
1台のタクシーにぎゅうぎゅう詰めになって彼らが言うまま"ミャンマーで一番イケてるクラブ"に連れて行かれた。
▲酔っているときは写真がかっこいい法則。完全にハングオーバーな写真は割愛。
確かクラブの名前は"パイオニア"だったと思う。
でっかい駐車場があって、セキュリティが何人も居て、言われるがままたいしたことのない金額を払ってぺろりと入場した。
そこには日本のクラブにも負けないゴージャスな照明が詰め込まれた華麗なフロアがあった。
ブースにかぶりついてみたら、そこにあったのはCDJ-2000だった。日本のクラブにだって、こんな最新機種はそうそうない。
「マジかよ……」と思いながら、僕らをつれてきたミャンマー人を見ると「どうだ、すごいだろ?」と言わんばかりの笑顔。
そこから先は本気で記憶が9割がたすっ飛んでいる。
バンバン繰り出されるエレクトロはわりときっちり繋げられていて、あまりおしゃれではない女の子がにょろにょろと踊っていた。
僕らは酒を何杯か振る舞われたり振る舞ったりして、フロアでガンガン踊っていた。
やがて僕の後輩が件の弁護士のひとりに呼ばれ、こう言われたらしい。
「すまない、外国人が来て盛り上がっているのを見てセキュリティが目をつけてる。
お前ら、このまま居たら、刺されるかもしれない。連れてきておいてなんだけど、帰った方がいい。」
よく考えたら意味が分からないが、それを潮時にして僕らはフラフラとクラブから出て、
タクシーを捕まえ、ゲストハウスへと戻ったのらしい。とりあえずクラブは最強に楽しかったことだけ覚えている。それだけ。
まだ暗いベッドの上で携帯電話のロックを解除すると、どれが誰だか分からないが、大量の着信履歴があった。
あの弁護士たちやその他のクラバーに「番号を教えてくれ」とせがまれたのだろう。
ともかく、僕らは6時過ぎにバガンへと飛ぶ飛行機に乗らなければならなかった。
荷物をまとめて階段を下り、食堂で寝ているスタッフに鍵を返し、「チェックアウト」と告げる。
▲スーレーパゴダは四六時中輝いている。
ひどい頭痛で、ビールから切り替えてグランドロイヤルというミャンマー製のウイスキーに手を出したのを後悔する。
宿の階段の最後の段を降りた瞬間にタクシー運転手が声をかけてきたので、僕らはヨロヨロとタクシーに乗り込み、行き先を「国内線ターミナル」と告げた。
▲世も開けきらぬヤンゴン市内をタクシーは北へとひた走る。
空港ターミナルにはチェックイン時刻に着いたものの、まあ当然カウンターは眠っていて、僕らもダラダラする。
マンダレーやバガンに向かう外国人旅行者がたくさんの国内線ターミナルは、不思議と活気づいていた。
▲ベンチがかわいいですねこのターミナル。
▲チェックインを済ませ、搭乗前のロビーは満員。
▲ちょっとした店があったので肉団子を朝メシがてらつまみつつ……
▲飲む。朝5時半。完全なバカ。
6時過ぎ、ひとつしかない搭乗ゲートからバスに乗ると、沖停めのスポットへと走り出す。
▲多分撮影しちゃダメなんだろうが、撮れちゃったもんはしょうがない。トルコ空軍のC-130。
▲朝焼けフライト。
▲エアマンダレーのATR-72-212。実はプロペラ機乗るの初めてだと思う。
ターボプロップエンジンが力強く唸り、軽やかにヤンゴンの空港を離れる。
およそ1時間半のフライトが僕らをバガンへと運んでいく。眼下は雲海ばかり。
▲機内食はクロワッサンが一つ。二日酔いで乾いたパンなど食べる気は起こらなかった。
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まだ窓の外は真っ暗で、そこがヤンゴンのとあるゲストハウスの一室だということに気づくまで数秒かかった。
隣のベッドでは後輩が死んだように眠っていた。
そうだ、昨日は中華街で飲んでいて、それから……。
左手を傾けるとG-SHOCKのLEDがオレンジに光り、針は4時を指していた。
僕らは隣のテーブルで飲んでいたミャンマー人3人組に声をかけられ、
お互いのしょうもない英語力でコミュニケーションを図り、そして死ぬほど飲んでいた。そりゃもう、記憶がほとんどすっ飛ぶくらいに。
彼らは弁護士だった。ミリタリーガバメントが支配するこの国での弁護士がどういう立場なのかはよくわからなかった。
「お前は東京で何してるんだ」と僕は訊かれた。
正直に職業を答えるのが面倒だったことと、酔っぱらっていたのも手伝って「俺は東京のトップDJだ」と冗談を言った。
そこから何がどう展開したのかは全く覚えていないが、3人のバカな飲んだくれ日本人と3人のバカな飲んだくれミャンマー人は意気投合し、
1台のタクシーにぎゅうぎゅう詰めになって彼らが言うまま"ミャンマーで一番イケてるクラブ"に連れて行かれた。
確かクラブの名前は"パイオニア"だったと思う。
でっかい駐車場があって、セキュリティが何人も居て、言われるがままたいしたことのない金額を払ってぺろりと入場した。
そこには日本のクラブにも負けないゴージャスな照明が詰め込まれた華麗なフロアがあった。
ブースにかぶりついてみたら、そこにあったのはCDJ-2000だった。日本のクラブにだって、こんな最新機種はそうそうない。
「マジかよ……」と思いながら、僕らをつれてきたミャンマー人を見ると「どうだ、すごいだろ?」と言わんばかりの笑顔。
そこから先は本気で記憶が9割がたすっ飛んでいる。
バンバン繰り出されるエレクトロはわりときっちり繋げられていて、あまりおしゃれではない女の子がにょろにょろと踊っていた。
僕らは酒を何杯か振る舞われたり振る舞ったりして、フロアでガンガン踊っていた。
やがて僕の後輩が件の弁護士のひとりに呼ばれ、こう言われたらしい。
「すまない、外国人が来て盛り上がっているのを見てセキュリティが目をつけてる。
お前ら、このまま居たら、刺されるかもしれない。連れてきておいてなんだけど、帰った方がいい。」
よく考えたら意味が分からないが、それを潮時にして僕らはフラフラとクラブから出て、
タクシーを捕まえ、ゲストハウスへと戻ったのらしい。とりあえずクラブは最強に楽しかったことだけ覚えている。それだけ。
まだ暗いベッドの上で携帯電話のロックを解除すると、どれが誰だか分からないが、大量の着信履歴があった。
あの弁護士たちやその他のクラバーに「番号を教えてくれ」とせがまれたのだろう。
ともかく、僕らは6時過ぎにバガンへと飛ぶ飛行機に乗らなければならなかった。
荷物をまとめて階段を下り、食堂で寝ているスタッフに鍵を返し、「チェックアウト」と告げる。
ひどい頭痛で、ビールから切り替えてグランドロイヤルというミャンマー製のウイスキーに手を出したのを後悔する。
宿の階段の最後の段を降りた瞬間にタクシー運転手が声をかけてきたので、僕らはヨロヨロとタクシーに乗り込み、行き先を「国内線ターミナル」と告げた。
空港ターミナルにはチェックイン時刻に着いたものの、まあ当然カウンターは眠っていて、僕らもダラダラする。
マンダレーやバガンに向かう外国人旅行者がたくさんの国内線ターミナルは、不思議と活気づいていた。
6時過ぎ、ひとつしかない搭乗ゲートからバスに乗ると、沖停めのスポットへと走り出す。
ターボプロップエンジンが力強く唸り、軽やかにヤンゴンの空港を離れる。
およそ1時間半のフライトが僕らをバガンへと運んでいく。眼下は雲海ばかり。
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by kala-pattar
| 2012-10-30 03:13
| 行ってきた