酩酊と昇降のミャンマー探訪【その5】

バガンは旧名をパガンと云う。
ミャンマーの中央部、マンダレー管区に位置するだだっ広いイラワジ川流域の平野部には仏塔(パゴダ)が無数に林立し、
カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡とされる。
パゴダたちは日本で言えば平安時代から鎌倉時代に建てられたものであり、その殆どはレンガで作られ、時には漆喰のようなもので塗られた。
当時栄えたパガン王朝においてレンガは神聖な建物にしか使えなかったから、人々は木や竹でできた家に住んでいた。
当然いまでは住居の痕跡など皆無であり、すなわち富裕層や王家が莫大な資産を投じて寄進した仏塔だけが、森の中に取り残されている。

16平方マイルのエリアに数千も散らばるパゴダが飛行機の窓から見える。
緑色のひたすら平らな大地が地平線まで広がっていて、大きなものは鋭く上に伸び、小さなものはやっと木々の間からその頭を覗かせる。
道路は森の中に隠され、ただただ植物で覆われたミャンマーの大平原に点々と茶色い仏塔だけが立ち並ぶ光景は、率直に言うと異様だった。

バガンの入り口、ニャウンウー空港の滑走路にランディングギアが触れると、仏塔たちは木々の中に姿を隠してしまった。

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▲ニャウンウーの空港は滑走路一本。エプロンは片方のエンドにあって、そこに飛行機がてんでばらばらに駐機していた。


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▲バゲッジクレームもクソもなく、職員が手で運んでくる荷物を受け取るスタイル。


空港ロビーに出ると、そこにはカウンターがあり、なにやら金を徴収する職員の姿が見えた。
聞けば、バガンの遺跡群を巡るための入域料が10ドルかかるのだという。おとなしく払い、通行証のようなカードを貰う。
ターミナルの外に出ると、そこはまるで西武池袋線の終点近くの駅のような風情で、ヤンゴンのそれと同じようにタクシー運転手がたむろしていた。
一人の褐色に焼けた肌をした四十絡みのドライバーが声をかけてきて、ニャウンウーのマーケットまで連れて行ってくれるという。
彼は「Mr.オッオ」と名乗り、ハイテンションで中田英寿のすばらしさを僕達に説きながら車を飛ばした。

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▲Mrオッオ。とても気さくでいいやつで、金を欲しがらず、忍耐強く、物知り。


ものの10分ほどでたどりついたニャウンウーの村はとても田舎だった。
少なくとも、僕がこれまで見たことのある光景の中で、もっとも田舎であることは間違いなかった。

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▲牛車が我が物顔で道を往く。二馬力ならぬ、二牛力。ぎゅうりき。牛力彩芽である。何がかは分からない。


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▲道路は当然舗装されていなくて、まあ都会育ちの僕はカルチャーショックを受けるのであった。


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▲マーケットを覗くと、まあなんとも言えぬ臭いがたちこめていた。


特にどちらを目指すでもなく僕ら三人組がふらふらとしていると、かごを提げた女の子が近寄ってくる。
そして何やらファンデーション様のものを取り出し、「プレゼント!」と言いながら顔にそれを塗りたくる。
タナカと呼ばれる現地の化粧品だ。
なんだか粉っぽくて花の香りがただようそれは頬に冷たく、自分はいまどんな顔になっているだろう、と思った。
そして塗り終わると、100チャット寄越せと抜け目ない。
「払わないよ。君はプレゼントって言ったはずだ。」と返すと、「じゃあポストカードはどうか」とつなげる。

付き合っていたらキリがない。
すがる女の子を無視して、ジリジリした日差しの中を村の中心と思われる方向へ向かって歩き出した。

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▲こういう殺人マシーンみたいなものが走っていて恐れおののく。車検という概念は存在しないのだろう。


ゲストハウスが居並ぶ道まで歩いてきた時、僕らは何か食べたい気分になっていた。
まだ朝だったが、ミャンマーの朝といえばモヒンガーというファストフードを食べよ、というのが定説だから、僕らはそれに従った。
ちょうど道の左手に「MOE MOE WIN」と書かれた看板を掲げたモヒンガー屋を見つけたので、迷うことなくそこに荷物を置いた。

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▲これがモヒンガーだ!


モヒンガーはあらかじめ茹でてある麺にナマズの出汁をぶっかけてちょろちょろと薬味を足したものである。
生臭いのではないか、予め茹でて放置してある麺は腐ってるんじゃないだろうかと思ったが、朝のモヒンガーは至って新鮮であった。
というか、美味なのだった。
ぼくらはひたすらナンプラーを注ぎ、スパイスやらパクチーやらレモングラスのような葉っぱやらを載せ、ズルズルとそれをすすった。

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▲自動で揚げ蒲鉾みたいなものと、鳥の腸詰だかなんだかが付いてくるのも謎だった。


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▲僕らが朝食を食べている間も、店の前でサイカー(自転車のサイドカー)や馬車のおっちゃんが声をかけてくる。


モヒンガーのスープを飲み干すと、再び僕らはゲストハウスを求めて道をうろついた。
何度かの逡巡の後にたどり着いた宿の親父はやたらと陽気で、しかし僕らが部屋をふたつに分けてほしいことを伝えると黙り込んだ。
しかし、すぐに「いい3人部屋があるけど、それでどうだ?」と聞かれたので、一も二もなくその部屋をリザーブした。Wi-Fiも完備だった。

荷物を置いて、先ほど番号を聞いておいたMr.オッオのケータイに電話をかける。
「24000チャットで3人まとめて一日面倒を見てやる」と持ちかけられたが、それが高いのか安いのか一瞬考えてからOKと返事をし、
すぐに現れたMr.オッオのワゴン車に乗り込むと、僕らはバガンの中心部、森の中へと向かった。

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by kala-pattar | 2012-10-31 00:46 | 行ってきた