酩酊と昇降のミャンマー探訪【その8】

シュエサンドーパヤーは1057年にアノータヤ王に建てられた。
その姿はインカ王朝のピラミッドにも似て、急な階段が5層のテラスをつなぐ、端正な台形と尖塔を組み合わせた形をしていた。
ここは夕日を眺める絶好のスポットとして知られ、日没を狙って多くの観光客が車で乗り付けるのだった。

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▲思い思いの場所で、日の入りを待つ。


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▲自分の登ったパヤーがバガンの森に長い影を落とす


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▲柵はないし、落ちたら死ぬけど、とりあえずテラスの縁に登って写真を撮りたくなる。


太陽は甘ったるい柑橘のような表情でグングンと山並みに近づいていく。
日没の時刻が近づくにつれ、イラワジ川が流れているのであろうあたりから、もくもくと煙のようなものが上がる。
一説によれば川の水分が霧になっているらしいんだけど、まああまりのタイミングに笑ってしまうような光景だった。
この景色をドラマティックなものにしようとして、誰かが遠くで狼煙を焚いているんじゃないかと訝ったりもした。

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▲もうもうと上がる霧のようなもの。


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▲それにしてもどんどん暗くなって色温度が下がる日没時の露出設定は難しい。


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▲シュエサンドーパヤーに登った人はみな、この時だけカメラマンになる。


太陽が沈む。その光景はそこまで感動的なものではなかった(僕にとっては)。
ただ、ふと視線を横に向けると、そこには夕日を浴びて赤く輝くパゴダが深緑とコントラストをなして、補色のハーモニーを奏でていた。
ただただ広い森のなかで、宙に浮かんでそれを眺めているような感覚は、他の何とも比べることができないものだった。

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▲日没。


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▲雲の切れ間に太陽は消えていった。


西洋人はサンセットが好きだ。例えばオーシャンビューとかバルコニーが好きなのはそのためなんじゃないだろうか。
日本人は夕焼けが好きだ。黄昏という言葉があるように、太陽の有無よりも赤く燃える空が紫に変化していくあの時間。
そう、西洋人はトプンと音を立てて太陽が見えなくなった瞬間、バラバラとパゴダから降りていった。
僕ら3人組はパヤーの思い思いの位置から夕日を眺めていたが、西洋人が帰って行ってガランとしたテラスで呆然としていた。
空がみるみる赤く染まり、東の森はあっという間にくろぐろとした闇に包まれていく。

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ひとつ、またひとつと大きめのパゴダに投光器のスイッチが入れられ、金色に輝き始める。
気づけばパゴダの上にいるのは僕達だけになっていた。
真っ暗になった階段を降りていくと、駐車場に止まっているのはMr.オッオの車ただ一台だった。

「ごめん」「いいんだ。全然気にしなくていいよ。さあ、ゲストハウスまで戻ろう。」

Mr.オッオはとてもいい奴だった。
暗くなった森を抜けて、僕らはニャウンウーの集落へと帰った。

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by kala-pattar | 2012-11-02 01:28 | 行ってきた