酩酊と昇降のミャンマー探訪【その9】
2012年 11月 02日
ミャンマー大使館は五反田と品川の間の一等地、御殿山にある。
僕はビザを取るためにそこを二度訪問し、大使館員は書類の職業欄を見て「お前はジャーナリストじゃないだろうな」と疑った。
僕はジャーナリストではなく単なる編集者であり、ミャンマー入国は取材目的ではない、
ということを表明する書類にサインして、なんとかビザは発給された。
「ゴテンヤマ、知ってるよ。俺住んでたもん」
太ったミャンマー人が僕らの隣のテーブルでウイスキーをじゃんじゃん呷りながら話しかけてきた。
彼はおそらくミャンマーでもかなりの富裕層に含まれる人物で
高校教師をやりながらセミプロのカメラマンとして生計を立てる男だった。
ここで詳しく書くのは憚られるが、男はきわめて政治的、経済的な観念が発達した人間であり
とても流暢な英語でミャンマーの観光地的な価値や軍事政権のありかた、ミャンマーと中国、日本と韓国の関係、
これから経済的発展を急速に遂げるであろうミャンマーにて教育がどうあるべきか、
そういったことを僕達と議論したがった。
僕らはテーブルに大量の空きジョッキを並べながら、酩酊状態でそのオーダーに応えた。
プアーな英語で、ミャンマーはエキサイティングな休暇を過ごすのにとてもマッチした国であること、
日本で普通に暮らしていれば、ミャンマーに関する知識を得るのはなかなか難しいこと、
そしてミャンマーは観光国家としてはまだまだ未発達であり、
ツーリズムの観点で競争力が発生するにはもう少し時間が必要であろうということを述べた。

▲ニャウンウーのレストランは、酒も飯も上々だった。メニューは少々貧相だったが。
結局最後は写真談義に花を咲かせたり、太っちょの連れと空中分解した会話をしながら、
閉店という概念があるのかないのかよくわからない店内で、大声で談笑しながら、ウイスキーを飲み干した。
またも酩酊は極まっていた。
1時過ぎのニャウンウーの目抜き通りでは、小さな商店が明かりを灯して商いを続けていた。
僕らは懲りずに缶のミャンマービールと瓶のマンダレービールを買い込み、宿へ戻った。
もちろん宿の門は閉まっていたが、昼間は陽気だった宿の親父を叩き起こし、どうにかベッドにたどり着いた。
やめておけばいいのに、追加のビールをガンガン飲んで、誰からともなく気絶するように眠った。
朝6時。
先に起きた二人が僕を起こそうとする。
ふたたびオールドバガンの森に行き、日の出を見るための気球のフライトを見に行くのが僕らの予定だった。
僕は信じられないほどの頭痛と眠気、そして強烈な腹痛に襲われていた。
何かに当たった、というよりも、単に酒の飲み過ぎとガスの溜まりすぎ、膨満感。
起き上がれないほどの辛さだったので、僕を置いてオールドバガンに行って欲しいと伝え、もう一度眠りについた。
それから4時間くらいして、彼らは気球と朝の森をひとしきり眺め、部屋へ帰ってきた。
「どうだった」と訊くと、後輩は「逆光だった」しか言わなかった。
羨ましかったけど、たっぷり睡眠がとれたことのほうがちょっとだけありがたかった。

▲外に出ると、馬車がいて、すごい日差しだった。
今日もいくつかの場所に行きたくて、僕らはドライバーを雇った。
僕らと同じくらいの年頃の男は、Mr.オッオの弟だった。

▲あんまり喋らない奴だった。
「どこか行きたいところはあるか」と彼が尋ねるので、僕は「川が見たい。イラワジ川を。」と返した。
「分かった。いまから川べりまで行く。もしその場所が気に食わなければ、他の場所に連れていくから言ってくれ。」と彼は言った。

▲気に入るも入らないも、イラワジのほとりはクソつまらない場所だった。
昼食を食べに食堂の集まった集落へ向かうと、とある店の前に車が止まったので、僕らは何も考えずにその店に入った。
先に飲み物を頼み、何を食べようかと考えながらメニューを見ていたら、そこはベジタリアン用の食堂だった。
3人とも果てしないガッカリ顔でメニューから適当な料理を頼み、壮絶な二日酔いと闘いながら昼食をとった。

▲ナスのカレーは超絶うまかったが、ひき肉が足りなかった。
二日酔いは日本でも経験することが難しいレベルの猛威をふるっていて、僕は珍しくメシを残した。
脚が痛くて、腹が膨れていて、頭が痛くて、だるくて、暑かった。
咳をした拍子にひとくちゲロが出るレベルだった。
僕らは3人とも似たような症状をかかえて、それからいくつかのパゴダをめぐった。
Mr.オッオの弟は、僕らがオーダーしていないパゴダを幾つか見せてくれた。
そのチョイスはかなり確かなもので、マイナーで美しく、小さくとも威厳のあるものだった。
僕はカメラを持ち上げるのもめんどくさくなっていたので、写真を撮るのを諦めた。

▲人間はめんどくさくなるとこういう写真を撮りがちである。
パゴダの密集するオールドバガンを離れると、道は凸凹で細く、小さなパゴダが点在するエリアに出る。
二日酔いは幾分おさまり、ニューバガンとオールドバガンの間の平原の景色はその気分にマッチしていた。
本当に手付かずの森がひたすら広がり、近く遠く、大小のパゴダが見え隠れする。
なんというか、本当に見たかったのはこういうバガンなんだ、と知りもしないのに言いたくなる感じ。
そのエリアに存在するひときわ大きなパゴダが、ダマヤンジー寺院である。
父と兄を殺して王位を奪取したナラトゥーという男が、贖罪のために建てた寺院であり、
大きく荘厳で精緻な彫刻を施した、とても素晴らしい寺院になる、はずだった。
彼は志半ばで暗殺され、ダマヤンジー寺院はその巨大な躯体がとりあえず形になったところで、未完の寺院として残された。

▲ダマヤンジー寺院の門は朽ち果てていた。
それまで見たレンガタイプの建物の中でも最大級の威容を誇るダマヤンジー寺院の内部はほとんどがコウモリの巣になっていた。
暗くて見えぬほど高い天井のあたりを何かチュンと鳴きながら飛ぶ。
猛烈なコウモリの体臭がたちこめ、壁には彼らの糞がびっしりとへばりついていた。
壁には仏像が納められるはずだったくぼみが並び、上がることのできないテラスがある。
行き先のない階段が壁の内部に隠されていて、とりあえず霊を鎮めるためのやっつけな仏像が数体置かれていた。
ダマヤンジーは歴史を超えたトマソンの塊のような寺院だった。

▲行き先のない階段の頂上から落ちそうになりながら景色を眺める。

▲いろんなモノが朽ちている。
はがき売りの少女が僕らの横をしつこくついてきて、巧みな日本語で寺院の説明をしてくれる。
ガイドをしながら時折「ポストカード、めっちゃ安いね」と勧めてくる彼女に「買わないからね!」と僕らは言った。
仏像が嵌まるはずだったくぼみに後輩を嵌めて写真を撮っていたら
中学生くらいの彼女は本当につまらなそうな、冷たい視線を僕らによこしつつ
でも僕らが熱い熱いとレンガのバルコニーを歩くのを付かず離れず、くっついてきた。
どこか憎めない女の子だった。

▲はがき売りの少女はレンガの上を黙って付いてくる。熱くないのかね。
>続きを読む
僕はビザを取るためにそこを二度訪問し、大使館員は書類の職業欄を見て「お前はジャーナリストじゃないだろうな」と疑った。
僕はジャーナリストではなく単なる編集者であり、ミャンマー入国は取材目的ではない、
ということを表明する書類にサインして、なんとかビザは発給された。
「ゴテンヤマ、知ってるよ。俺住んでたもん」
太ったミャンマー人が僕らの隣のテーブルでウイスキーをじゃんじゃん呷りながら話しかけてきた。
彼はおそらくミャンマーでもかなりの富裕層に含まれる人物で
高校教師をやりながらセミプロのカメラマンとして生計を立てる男だった。
ここで詳しく書くのは憚られるが、男はきわめて政治的、経済的な観念が発達した人間であり
とても流暢な英語でミャンマーの観光地的な価値や軍事政権のありかた、ミャンマーと中国、日本と韓国の関係、
これから経済的発展を急速に遂げるであろうミャンマーにて教育がどうあるべきか、
そういったことを僕達と議論したがった。
僕らはテーブルに大量の空きジョッキを並べながら、酩酊状態でそのオーダーに応えた。
プアーな英語で、ミャンマーはエキサイティングな休暇を過ごすのにとてもマッチした国であること、
日本で普通に暮らしていれば、ミャンマーに関する知識を得るのはなかなか難しいこと、
そしてミャンマーは観光国家としてはまだまだ未発達であり、
ツーリズムの観点で競争力が発生するにはもう少し時間が必要であろうということを述べた。

結局最後は写真談義に花を咲かせたり、太っちょの連れと空中分解した会話をしながら、
閉店という概念があるのかないのかよくわからない店内で、大声で談笑しながら、ウイスキーを飲み干した。
またも酩酊は極まっていた。
1時過ぎのニャウンウーの目抜き通りでは、小さな商店が明かりを灯して商いを続けていた。
僕らは懲りずに缶のミャンマービールと瓶のマンダレービールを買い込み、宿へ戻った。
もちろん宿の門は閉まっていたが、昼間は陽気だった宿の親父を叩き起こし、どうにかベッドにたどり着いた。
やめておけばいいのに、追加のビールをガンガン飲んで、誰からともなく気絶するように眠った。
朝6時。
先に起きた二人が僕を起こそうとする。
ふたたびオールドバガンの森に行き、日の出を見るための気球のフライトを見に行くのが僕らの予定だった。
僕は信じられないほどの頭痛と眠気、そして強烈な腹痛に襲われていた。
何かに当たった、というよりも、単に酒の飲み過ぎとガスの溜まりすぎ、膨満感。
起き上がれないほどの辛さだったので、僕を置いてオールドバガンに行って欲しいと伝え、もう一度眠りについた。
それから4時間くらいして、彼らは気球と朝の森をひとしきり眺め、部屋へ帰ってきた。
「どうだった」と訊くと、後輩は「逆光だった」しか言わなかった。
羨ましかったけど、たっぷり睡眠がとれたことのほうがちょっとだけありがたかった。

今日もいくつかの場所に行きたくて、僕らはドライバーを雇った。
僕らと同じくらいの年頃の男は、Mr.オッオの弟だった。

「どこか行きたいところはあるか」と彼が尋ねるので、僕は「川が見たい。イラワジ川を。」と返した。
「分かった。いまから川べりまで行く。もしその場所が気に食わなければ、他の場所に連れていくから言ってくれ。」と彼は言った。

昼食を食べに食堂の集まった集落へ向かうと、とある店の前に車が止まったので、僕らは何も考えずにその店に入った。
先に飲み物を頼み、何を食べようかと考えながらメニューを見ていたら、そこはベジタリアン用の食堂だった。
3人とも果てしないガッカリ顔でメニューから適当な料理を頼み、壮絶な二日酔いと闘いながら昼食をとった。

二日酔いは日本でも経験することが難しいレベルの猛威をふるっていて、僕は珍しくメシを残した。
脚が痛くて、腹が膨れていて、頭が痛くて、だるくて、暑かった。
咳をした拍子にひとくちゲロが出るレベルだった。
僕らは3人とも似たような症状をかかえて、それからいくつかのパゴダをめぐった。
Mr.オッオの弟は、僕らがオーダーしていないパゴダを幾つか見せてくれた。
そのチョイスはかなり確かなもので、マイナーで美しく、小さくとも威厳のあるものだった。
僕はカメラを持ち上げるのもめんどくさくなっていたので、写真を撮るのを諦めた。

パゴダの密集するオールドバガンを離れると、道は凸凹で細く、小さなパゴダが点在するエリアに出る。
二日酔いは幾分おさまり、ニューバガンとオールドバガンの間の平原の景色はその気分にマッチしていた。
本当に手付かずの森がひたすら広がり、近く遠く、大小のパゴダが見え隠れする。
なんというか、本当に見たかったのはこういうバガンなんだ、と知りもしないのに言いたくなる感じ。
そのエリアに存在するひときわ大きなパゴダが、ダマヤンジー寺院である。
父と兄を殺して王位を奪取したナラトゥーという男が、贖罪のために建てた寺院であり、
大きく荘厳で精緻な彫刻を施した、とても素晴らしい寺院になる、はずだった。
彼は志半ばで暗殺され、ダマヤンジー寺院はその巨大な躯体がとりあえず形になったところで、未完の寺院として残された。

それまで見たレンガタイプの建物の中でも最大級の威容を誇るダマヤンジー寺院の内部はほとんどがコウモリの巣になっていた。
暗くて見えぬほど高い天井のあたりを何かチュンと鳴きながら飛ぶ。
猛烈なコウモリの体臭がたちこめ、壁には彼らの糞がびっしりとへばりついていた。
壁には仏像が納められるはずだったくぼみが並び、上がることのできないテラスがある。
行き先のない階段が壁の内部に隠されていて、とりあえず霊を鎮めるためのやっつけな仏像が数体置かれていた。
ダマヤンジーは歴史を超えたトマソンの塊のような寺院だった。


はがき売りの少女が僕らの横をしつこくついてきて、巧みな日本語で寺院の説明をしてくれる。
ガイドをしながら時折「ポストカード、めっちゃ安いね」と勧めてくる彼女に「買わないからね!」と僕らは言った。
仏像が嵌まるはずだったくぼみに後輩を嵌めて写真を撮っていたら
中学生くらいの彼女は本当につまらなそうな、冷たい視線を僕らによこしつつ
でも僕らが熱い熱いとレンガのバルコニーを歩くのを付かず離れず、くっついてきた。
どこか憎めない女の子だった。

>続きを読む
by kala-pattar
| 2012-11-02 02:12
| 行ってきた