ヘルシンキの景色に脳天を撃ちぬかれた話。
2013年 03月 03日

誤解を恐れずに言えば、僕にとってはオーロラよりも何倍もすごい体験だったのです。(オーロラの話はここ)
イヴァロというかサーリセルカというか、とにかくあのオーロラを見た北フィンランドの田舎は
それはそれはすばらしかった。あんなの反則ってレベルで楽しかった。
でも、言ってみりゃすべてが雪に覆われていて、自然が広がっていて、トナカイがウロウロしていて、
目隠しして連れて来られたら「フィンランドですよ」って言われないと、真冬の蓼科高原と大差ないんですよ(蓼科にトナカイはいない)。
そりゃ日差しはいつだって斜めだし、オリオンは地平線の上をしずしずと横に進んでいくし、
夜になれば光のページェントがあって、メシも空気も全然日本と違いましたけども
それはなんというか、あくまで僕にとって現象であって、そこに確固たる、厳然とした
「ここは北欧のフィンランドです」と主張する固くて触れるなにかは存在しない気がして。
そして日本に帰る途中でステイしたヘルシンキ。
ヴァンター空港からバスでヘルシンキに向かう車内で「あ、ここヨーロッパだ」ってようやく思ったんです。
なにせ非アジア圏に旅行するのは初めてだったし、そこには建物とかたくさんの人とか鉄道とかが横たわっていて。
つまり、人間が違う文化で暮らしていて、そこにとんでもない強固な基地を作っているという実感が刺さる。
そういう情報が視覚を通して脳にバシバシ入ってくるので、なんかもう呆然としまくってて、
同行の人々に「テンション下がってるけど大丈夫?」と訊かれまくる始末。
そうじゃなくて、入力が大きすぎて回路が爆発していました。







ここまで書いたこと、全部当たり前だし、ヨーロッパのことを知ってる人からすれば
「それがヨーロッパでしょ」って感じなのかもしれないけど、
僕にとっては「ああ、本当にヨーロッパって存在するんだ!」というよくわかんない感慨があった。



ヨーロッパのターミナルというのはある種の夢であり、
日本の異常に発達した鉄道網とは違うもののための特別な建物であり、発着の基地であり、
そこを利用する人々は本当に遠いところへすごい時間をかけて移動するわけで、
こうしたターミナルの持つ意味が、どちらかと言うと空港とかに近い位置にあると思うんですよ。
たくさんの見たこともない屈強そうな機関車が長大な客車を従えて、トラックに居並び、
そこに改札もなく各々チケットを携えた人たちがどこからともなく集い、
そして数分おきに音もなく列車が発着する。
当然レールは駅舎の中で途切れ、そこが始まりであり終わりなんですよ。
線路がそこでターミネイテッドされているし、都市とその他の都市との端子であり、
だからターミナルなんだよな、っていう「腹に来る単語」なんですよ。大げさじゃなく。


客車の背が高いため、機関車から振り上げられるパンタグラフがものすごく長い。
そして発車時刻が迫るとパンタが上げられ、架線に触れる。スパークが閃く。
時刻表もじっくり見ていたけど、かなり正確に、短いスパンでどんどん列車が発着する。
到着した列車からは明らかに街を歩いている人々とは違うファッションの人達が大きな荷物を携えて降りてくる。
そしてその列車の前で出発前の人々が見送りに来た人々とつかの間の別れを惜しむ。
ホームはめちゃくちゃ寒くて、柔らかい光で包まれている。なんだこれ。天国か。



人口が少なくて広い国だから、通勤ラッシュ時も人影はまばらというか、それラッシュじゃない。
みんなバスもトラムも座って通勤。


完全に散文になってしまいもはや反省しきりなのだがもうこのままパブリッシュしてしまおう。
石畳とトラムのレールと、タバコの煙とマリメッコの看板と、たくさんのパブと凍てつく寒さと
ああいうのの中に自分の身を置くために、こんどまたどこかに旅しないとダメだなと思いながら。
by kala-pattar
| 2013-03-03 17:04
| 行ってきた