【超音速漫遊記 その2】首都を掠めて
2014年 01月 18日
酩酊と覚醒を繰り返していた。
ビジネスクラスのシートは果てしなく快適で、17時間に及ぶフライトもまったく苦にならなかった。
時折供される機内食はきちんと食事と呼べるもので、グレンフィディックを気の向くままにガバガバと飲みながら
音楽と映画と睡眠を貪って、眼下に広がるアフリカの砂漠とどこまでも続く大西洋を眺めたりした。
「見渡す限り誰もいない景色」に何度も何度も息を呑みながら、しかしその体験にも倦んできたころ、
進行方向に緑豊かな海岸線が見えてきた。

飛行機が舞い降りたのは、アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港。
ボサノバの父の名を冠したリオデジャネイロ最大のエアポートはなかなか古く、そこかしこで改装工事が行われていた。
乗客はここでいちど全員が降機させられ、その大半はここを目的地としているようだった。
俺の目的地はさらに先にあるため、出発ロビーで湿度たっぷりの空気を吸いこみながら待つことになる。
空港から出ていないのに、ポルトガル語の喧騒が否応なしに南米に来たことを教えてくれる。
思えばここで旅のスイッチが入った気がする。
英語という言語でも、アジア人という大まかな民族性でも、ユーラシアという大陸の連続性でも繋がることのできない
別の言語を操る、別の大陸の、別の人種が住む国。
本当に来ちゃったなぁ、という他人ごとのような独り言を頭のなかで吐き出しつつ
再び機体に乗り込むと、そこからものの3時間弱で夕刻のブエノスアイレスに到着した。
事前情報としてアルゼンチンの治安の悪さを繰り返し与えることで俺を脅し倒した友人が迎えに来てくれるはずだった。
もしいなかったら、どうやって空港から市内まで出ればいいのか。英語は通じるのか。
無駄な緊張感で、荷物を吐き出すカルーセルの景色はほとんど現実味を伴わなかった。
俺の名を呼ぶ女の子の声がして、その主の姿を認めて、そこで安心しそうなもんだったけど、
おそらく酒を引きずってたのと、無意識に高まっていた緊張感と、あまりに自然にそこにいる友人の姿と……
まあとにかく幽体離脱みたいな状態になっていて、大した挨拶もしなかった。
「来たねぇ」
「やっと着いたわ」
バス乗り場のオヤジにスペイン語でまくしたてられながら荷物を預けてバスに乗り、ブエノスアイレスの市街へ向かう。
お互いの近況をサラっと話しつつ、窓の外の景色を必死で咀嚼しようとしたけれど、全く脳に届かない。
小さなバンに乗り換えてホステルへと誘導され、8人部屋のドミに荷物を置いて、東京から運んできた各種ペイロードを渡し、
たまたま営業していた近くのステーキ屋のテーブルについて、ようやく落ち着いた。
巨大なステーキはあまり美味いと思えず、アルゼンチン牛とのファーストコンタクトは失敗に終わった。
ワインを飲んで、ピザ屋に移動してさらにワインを空け、ホステルに戻ってバルコニーでビールを飲んで……
強烈な頭痛で目を覚ましたら、ドミのベッドの上だった。
そういうわけで、アルゼンチンの、ブエノスアイレスの最初の夜は街の様子をほとんど見ることなく、
何かに怯えながら肉を喰らって酒を飲んで、寝ただけだった。
そして、ブエノスアイレスの街をハッキリと知覚するのはここから何日も何日も後のことだった。
ようよう朝飯を食べ終えると、世界一周旅行の途上にある友人と、さらにその友人と、3人連れ立ってタクシーに乗った。
長距離バスターミナルに着いて、そこからの予定を初めて聞かされて、俺は肝をつぶした。
次なる旅程はバス北上すること28時間。目指すはアルゼンチンとボリビアの国境、ビジャソンだった。
by kala-pattar
| 2014-01-18 13:27
| 行ってきた