【超音速漫遊記 その4】Salar de Uyuni

ウユニ塩湖というものに、嫌悪感を抱いていた。

あんなにも平らな土地が水をたたえれば空を映しだすのは自明であるし、
それを絶景と表現するのは間違いないことである。

しかし、日本に暮らしながら知るウユニの"絶景"というものは
マスメディアによる極めて高精度な映像か、それを見てウユニに行ってしまった酔狂な旅行者のブログのヘッタクソな写真か
もしくはその両者の成果物を極めて無責任に剽窃して「一生に一度は見たい絶景」などとタイトルを付け
ソーシャルネットワークサービスに垂れ流し、有象無象が「いいね!」を付けることを見込んだ
どこまでも他人ごとの景色にほかならないと俺は今も信じている。



ただ、一生に一度は見たい絶景を見るには、一生に一度の旅行をするしかないのである。
そして、ウユニにはまごうことなき絶景があった。
絶景、すなわち、言葉で言い表すことのできない、比類なき景色が。

「いいね!」「行きたい」「うらやましい」「いつかはきっと……」
と言いながら写真を見てため息をついても、ウユニ塩湖は一生あなたの前に現れることはない。
現地に、その身を以て、高山病に苦しめられながら、決して旨くないメシを食いながら、行くしかないのだ。

そして、あそこまで写真を撮ることを拒む土地を俺は他に知らない。
シャッターを切れば、それはそれは信じられないような画像が量産できる。
しかし、それを自宅に帰ってから見た時の落胆は、生きたアンモナイトを獲ったつもりが化石になっていたくらいの大きさだ。
さらに、誰が撮っても、どこで撮っても、どの写真も本質的には同じだ。
空があって、それが地面に反射している。以上。ただそれだけだ。

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誤解を恐れずに言うならば、あそこで写真を撮ることは不可能だ。
現地に行って、360度地平線が取り巻いているあの景色をぐるり見渡す他ない。
人間の恐るべき画像処理能力を以て、あの恐ろしいコントラストとグラデーションを一枚の絵として合成する他ない。
そうする以外に、ウユニの"絶景"を自らのものにすることはできない。
インディヘナの人々の特有の人付き合いに耐えて、決して旨くないメシを毎日食って、
高山病と付き合いながら、気まぐれな天候と風向きが味方した時、空が地面に反射する。
現地に行く金があったとしても、余程の運か、有り余る時間のどちらかがなければいけない。

どうだ、俺は現地に行ったから偉いだろう、などと言う気は毛頭ない。

人間には他に行くべきところはいくらでもある。ウユニより優先順位が高いと思われるところがいくらでもある。
例えばいまあなたが重要なプロジェクトを抱えていて、それでも会社をやめて、
一生に一度だから行かないとダメなんだ!と言うならば、俺は全力で止めるだろう。
もっと安上がりで楽しくて、あなたの血肉になって、なおかつ感動的な場所はたくさんある。
高い金を払って弾丸ツアーで行くなどもってのほかだ。体力も精神もとても追いつかないだろう。

そう、こんなところはぬくぬくと自宅でテレビやPCを眺めながら、「いいね!」と言うことこそふさわしい場所なのだ。
ウユニ塩湖というのはそういう土地だ。辛くて、写真の撮り甲斐がなくて、
現地に行ったことのない人にその感動を説明することができない場所だ。

現地に行くか、自宅で「いいね!」か、そのどちらかだ。
どちらも全くもって善行だ。優劣はない。無責任でいいのだ。知らなかったら損する場所でもない。
知ってしまったから、行きたい。じゃあ、行くしかない。そういう場所だ。
ウユニは、突き詰めて言えば、ただの平らで真っ白な塩の原っぱだ。
山々の微妙な起伏や、人の創りだした精緻な彫刻や、スピリチュアルな機微や、そういったものとは無縁な、
ひたすら暴力的なまでに平坦な、世界でいちばん平坦な土地。それがウユニだ。
もっと言えば、そこが塩だろうが黒曜石だろうがアスファルトだろうが、
広くて平らで水はけの悪い土地ならば同じ効能が得られるはずだ。

我々はウユニの街に5泊して、都合4回の塩原ツアーをチャーターした。
真っ平らで白い塩の平原は、ある時は水が張り、ある時は茶色く濁り、場所によって、時間によって、
全く違う表情を見せる。
画像で見るような、いいね!をしたくなるような、ああいう景色は本当に本当にごく稀に、ごく一部で見られる。

地平線まで一人も人が居ない、真っ白な大地でメシを食ったこと。
ランドクルーザーのルーフに乗っかって、60km/h近くでぶっとばしたこと。
朝日がふたつ、地平線からアメーバのように分離して上下に現れたこと。
夕日が水銀の玉のように地平線で合体して消え入ったこと。
俺の隣の友達が、宙に浮いたように上下反転しながら水面の下と上で歩いていたこと。
空を覆う恐ろしいほどの星たちがそのまま全天球モニターのように眼下まで広がること。

結局、あの場所で感じた「なんなんだ、この奇妙な感覚は」というのは全てが動的かつパノラミックなものであって、
写真や動画という画角と時間を殺したメディアによって記録されうるものではなかった。
それらはあまりに感動的で、もしこの世の皆が体験したら、地球はきっと素晴らしい惑星になるだろう。
けれど、真に共有できるのは一緒にいる友人であり、
一緒に居なかった人に伝える努力をしようとは思えないものであり、
そして、決して他人にオススメできる体験ではなかった。

ウユニ。

俺はここでシャッターを数え切れないほど押したが、そこで"写真"は一枚も撮れなかったように思う。



by kala-pattar | 2014-01-19 02:43 | 行ってきた | Comments(0)