【超音速漫遊記 その6】天の光はすべて街
2014年 01月 27日
オルロからバスで走ること数時間。
ハイウェイの両脇に赤いレンガのような素材で出来た家がポツポツと建ち始めると、
道は一気に4000mまで高度を上げる。
その密度がピークに達すると同時に前方の視界がバッと開けて
目に飛び込んできたのはすり鉢状の地形にへばりつくように広がるラ・パスの街並みだった。
ラ・パスは俺にとって憧れの街だった。
中学時代の地理の先生がケッペンの気候区分からさらに踏み込んで説明する「高地気候」というものが何故か好きだった。
街の中心部が3600mという恐ろしい高さに位置するこの街は、
一年を通して一定の過ごしやすい気温が保たれ、酸素が薄いために火事など滅多に起きないという。
もとは鉄道のターミナルだったと思しき巨大なバスターミナルに到着すると、タクシーの客引きが声をかけてくる。
白タクに乗ればそれは犯罪に巻き込まれる直行ルートであり、とにかく認可を受けたタクシードライバーかどうか確かめて
荷物をトランクに詰め込んでホテルへと向かった。
日本人バックパッカーが群がる有名なホテルは8階建で、我々は3人で最上階の6人部屋を専有させてもらった。
バルコニーに出て眺めるラ・パスの街並みは壮麗であった。
ぐるりと街を囲む4000m級の山々。
その稜線までびっしりと隙間なく建ち並ぶ家々。
いまではビルディングがちらほらと見える中心街から拡大していったこの街は、拡大するうちに渦巻き状に居住区が形成され
すなわち目に見える斜面の街区はすべてがスラムなのである。
強盗、ひったくり、詐欺、ニセ警官、ナイフ、鉄砲、首絞め……。
こうした危険が潜んでいるんだと教えられたスラムがどこまでもどこまでも、空の境界まで続いている。
そして稜線のその先には雲をかぶり、ところどころに雪渓の見える6000m級の険峻な山々。
夕暮れ時になればポツポツとオレンジ色の街灯と裸の蛍光灯を使った屋内照明が点灯し始め、
いつしか紺色の空の下は自分の視線より上までびっしりと灯火で埋め尽くされているのであった。
これは夜景だ。しかし、異質な夜景。
東京で高いビルディングの窓から下方を眺めて素直に綺麗だと思うことは何度もあった。
見えるのは遅くまでサラリーマンが働くオフィスビルであったり、
忙しく行き交う自動車の列であったり、買い物で賑わう繁華街といったものの光だ。
ラ・パスの夜景は見上げるものだった。
貧しい人々の住む街並みがどこまでもどこまでも斜面を埋め尽くし、
ギラギラと星のように、まるで天地がひっくり返ったかのように、光り輝いていた。
恐ろしく美しい風景に魅了された俺は何度も何度もタバコを吸いにバルコニーへ出て、
夜も朝も昼もその景色を眺めては思った。
「ここにはもう一度来るかもしれない」と。
あいにく食事はウユニやオルロより少しマシ、という程度だったと思うし、治安が悪いのは間違いないことだった。
一眼レフに400mmの望遠レンズをねじこんで街を歩けば、
何人もの親切な通行人がじっとそれを見て
「オマエ、本当に気をつけろよ。そのレンズはこの街にはトゥーマッチだ。」
と注意を促してきた。
幸いにも危険な目には合わずに済んだが、今考えればあまりに臆病になっていたかもしれない。
人通りの多いところ、何かあっても助けを呼べそうな時間帯、そういうことにしか気を配っていなかった。
ラ・パスの本当の姿を見たければ、あの街と同化しないとダメだろう。
それにはあまりに滞在時間が短く、どこまで街に入り込めるかチャレンジする気持ちも薄かった。
3000mオーバーのボリビア生活はこの街の滞在を含め7日間に渡った。
酸素の濃い場所が恋しかった。
新鮮な野菜や新鮮な魚介類が恋しかった。
美味いビールや美味いワインが恋しかった。
我々は別ルートで旅を続ける一人の友人に別れを告げ、
荷物をまとめると空港へとタクシーを走らせた。
by kala-pattar
| 2014-01-27 02:13
| 行ってきた