【超音速漫遊記 その18】バラナシ所感
2014年 08月 02日
インドに行ったことのある人間からたくさんの話を聞かされていた。
インドに行ったことのある作家が書いたいろいろな文章を読んできた。
俺の頭のなかで勝手に組み立てられたインドのイメージはひどいものだった。
不具者、牛の死体、道を埋め尽くす糞、不衛生なメシ、物乞い、詐欺師……。
それらのものは確かに存在したけれども、すべてが愛おしく思えるのもまたインドの不思議なところである。

バラナシの空港に到着した我々はジェントルなタクシー運転手に身を委ねて市内へと向かった。
市内は地獄のような渋滞が慢性的に発生していた。
適当なところでタクシーを降りて歩くと、そこはまごうことなきインドであった。
南米の近代的で美しい街並みとは対照的な、
どこまでも雑多な南アジアの町並みと、日焼けしたインド人の群れ。
匂いと、土埃と、黄色く霞んだ太陽の光と、痩せた身体に踊る筋肉と、そこに浮かぶ汗と。
日本の日常からこの光景の只中へと放り込まれれば、ある種のショックはあったのかもしれない。
けれど、今の俺には写真を撮る余裕も、街のディテールを仔細に観察する余裕もあった。
清潔でないこと、全てが土色であることが、何故か安心だった。
怪しげな日本語を駆使しながら、どこの宿に泊まるんだ、土産を買わないかと寄ってくる人をいなしながら
ガンジス河畔に乱立する宿屋街の路地裏を重たいバックパックを背負って彷徨する。
最終的にたどり着いたのは、気のいいオヤジの経営する4階建のホテルだった。
平均的なパッカー宿よりも少しだけ高い金を払ったが、そこそこ広くて綺麗な部屋にはシャワーもあった。
ここから先は、とりたてて書くべきこともない。
暇があればガンジス川のほとりへと繰り出し、ひねもすガート(沐浴場)を巡り歩いた。
薬缶に火鉢を括りつけて移動しながらチャイを売る男や怪しいクスリの売人や土産屋やボート漕ぎや
ただ単にヒマを持て余してる現地の若者や、そういう人たちと暇潰しに会話したり、時には少し怒ったりしながら
ウロウロウロウロ、あてどなく歩いて、疲れたら座って、タバコを吸って、適当なメシ屋でカレーを食ったりした。


メシには高いのも安いのもあって、口に合うものとないものがあって、
川はどこまでも濁っていて、人々はどこまでもその日暮らしで、
太陽は地平線から拳3つぶんくらい高度を稼がないと霞んだ空気の層を貫通できないほど弱々しかった。
南米から日本へ帰るクッションとして、こんなに良い場所もないんじゃないか、と思った。
うまく書けないのだが、インドはやっぱりインドで、
スピーカーから読経がガンガン放たれつづけるガンジスはひたすら美しくて、飽きることはなかった。
インドに行ったことのある作家が書いたいろいろな文章を読んできた。
俺の頭のなかで勝手に組み立てられたインドのイメージはひどいものだった。
不具者、牛の死体、道を埋め尽くす糞、不衛生なメシ、物乞い、詐欺師……。
それらのものは確かに存在したけれども、すべてが愛おしく思えるのもまたインドの不思議なところである。

バラナシの空港に到着した我々はジェントルなタクシー運転手に身を委ねて市内へと向かった。
市内は地獄のような渋滞が慢性的に発生していた。
適当なところでタクシーを降りて歩くと、そこはまごうことなきインドであった。
南米の近代的で美しい街並みとは対照的な、
どこまでも雑多な南アジアの町並みと、日焼けしたインド人の群れ。
匂いと、土埃と、黄色く霞んだ太陽の光と、痩せた身体に踊る筋肉と、そこに浮かぶ汗と。
日本の日常からこの光景の只中へと放り込まれれば、ある種のショックはあったのかもしれない。
けれど、今の俺には写真を撮る余裕も、街のディテールを仔細に観察する余裕もあった。
清潔でないこと、全てが土色であることが、何故か安心だった。
怪しげな日本語を駆使しながら、どこの宿に泊まるんだ、土産を買わないかと寄ってくる人をいなしながら
ガンジス河畔に乱立する宿屋街の路地裏を重たいバックパックを背負って彷徨する。
最終的にたどり着いたのは、気のいいオヤジの経営する4階建のホテルだった。
平均的なパッカー宿よりも少しだけ高い金を払ったが、そこそこ広くて綺麗な部屋にはシャワーもあった。
ここから先は、とりたてて書くべきこともない。
暇があればガンジス川のほとりへと繰り出し、ひねもすガート(沐浴場)を巡り歩いた。
薬缶に火鉢を括りつけて移動しながらチャイを売る男や怪しいクスリの売人や土産屋やボート漕ぎや
ただ単にヒマを持て余してる現地の若者や、そういう人たちと暇潰しに会話したり、時には少し怒ったりしながら
ウロウロウロウロ、あてどなく歩いて、疲れたら座って、タバコを吸って、適当なメシ屋でカレーを食ったりした。


メシには高いのも安いのもあって、口に合うものとないものがあって、
川はどこまでも濁っていて、人々はどこまでもその日暮らしで、
太陽は地平線から拳3つぶんくらい高度を稼がないと霞んだ空気の層を貫通できないほど弱々しかった。
南米から日本へ帰るクッションとして、こんなに良い場所もないんじゃないか、と思った。
うまく書けないのだが、インドはやっぱりインドで、
スピーカーから読経がガンガン放たれつづけるガンジスはひたすら美しくて、飽きることはなかった。
by kala-pattar
| 2014-08-02 14:41
| 行ってきた