※注意 ワイスピ最新作についてのネタバレがあるので未見の人はここでブラウザを閉じてほしい。
もちろんこれはCGなんだけど、なんで俺ははこれを「CGだ」と判断してしまうんだろうか。
同じカタチ、同じ色の「実物大ガンダム」(実物のガンダムは存在しないから設定上の大きさに合わせてある)が存在するのに。
これは簡単なようで、とても難しい問題だと思う。
結論から言うと、「動く実物大のガンダムが存在しないということを自分が知っているから」じゃないかと思った、という話について
そこに至った経緯をメモしておく。
■『ワイルド・スピード スカイミッション』(Fast & Furious 7)を見て思ったこと
主役のひとり、ブライアンを演じていたポール・ウォーカーが映画のクランクアップを待たずに交通事故で死んでしまったのは御存知の通り。
俺も「撮影済みのシーンを切り貼りしてうまいこと編集するのだろう」と思って映画館に行ったのだが、どうやらそうでもないらしい。
というのも、ラストシーンでドミニクとブライアンがクルマをかっ飛ばすシーンからエンドロールへの繋がり方が
あまりにも「死んだ人を悼むために作り出されたカット」としてよく出来過ぎていること、
そしてそういう目線でじっくりと画面を見た時に、同一画面上にいるはずのドミニクとブライアンの画質に微妙な差異を感じたからである。
説明しづらいごくごく微妙な違和感なので、「もしかしてこのポール・ウォーカーはCGなんじゃねえか」と思ったが、確証は持てなかった。
で、海外の映画メディアをいろいろと読んでみると、撮りきっていなかったシーンについてはいくつかの方法で補填していることがわかった。
クローズアップにならない(or顔がはっきりと判別できない)シーンではポールの兄弟ふたりが代役を演じている、というのに加え
一部シーンでWETA(ピーター・ジャクソンの率いるVFXスタジオ)が製作したCGのフェイスが使われている、というのである。
実際にブレイクダウン映像(最近のハリウッド映画にありがちなCGネタばらし動画)がリークされているわけではないので
どこのシーンでどのように「CGのポール」が使用されているのかは分からないのだが、俺の感じた違和感はウソじゃないのかもしれない。
上記のごとく、死んだ人をCGで再現するという意味では以下の動画が有名なんじゃないだろうか。
文脈を知らない(時代背景や出演作品を熟知していない)人からすれば、おそらくこれが生身の人間かCGか
ほとんど判別不可能なように見える。少なくとも映画のワンシーンが差し替えられているレベルなら、看破することは難しいだろう。
■『ジュラシック・ワールド』のトレイラーを見て思ったこと。
ワイルド・スピードの上映前に流れたトレイラーが以下である。映画は今年8月公開だ。これがもう、果てしなく「CG臭い」のである。
「CG臭い」と簡単に書いたけど、それがどういう意味なのかは自分でもよくわからない。
見ていても「実際に恐竜がそこにいて、人間と一緒に画面に写っているのだ!」という感覚が全くないのである。
誤解を恐れずに言うならば、俺には第1作の『ジュラシック・パーク』と見分けが付かない。
で、その直後にワイルド・スピードで「死んだはずの人」を見ながら思ったのだ。
ジュラシック・ワールドのCG製作チームが技量不足だから恐竜がリアル(実在するもの)に見えないのではないのだ、と。
単に、「恐竜は現存しない」ということを俺たちが"知っている"から、という話に集約されるのではないだろうか。
裏返せば、見たことのあるものをCGに置き換えられても、我々は気づかないことが多い。
海外メーカーのバイラル動画を見た人々がロナウジーニョやNFLのスーパープレーがCGかどうか議論するのは
「あるかないかわからないけど、ありえなくはなさそうだ」という脳内での仮定との戦いなんだと思う。
「リアリティ」を決めるのは"CGの出来不出来"ではなく、"なにをCGにするか"というところにあるのではないだろうか。
■SF映画にリアリティを持たせることはできないのか
われわれは「見たことのあるもの」しかホンモノに思えないし、CGを見てホンモノだと思い込むこともできないのかもしれない。
逆に、見たことがあるものならそれをCGに差し替えられてもほとんど気づかないレベルに技術は進歩している。
確かにSF映画で「え、これCGなんですか?」というリアリティに出会ったことがあるかといえば、そんなことないように思う。
……というかそもそも「CGだかホンモノだか見分けの付かない非実在メカや非実在クリーチャーの映像」を作り手は目指していないのかもしれない。
ググっても「なぜ人間がCGを見てホンモノだと思い込む場合があるのか」について書いてる人はあんまり見当たらない。
このへん、識者の話をぜひとも聴いたり読んだりしてみたい。
■ガンダムは「リアル」になれるのか
歩く18m大のガンダムを見たことがない我々は、お台場の立像が不動のものだと知っている。
だからそれがヤカンを持ち上げてもCGだと認識する。
ガンダムを知らない人にあのCGを見せたら、ホンモノか偽物かは分からないだろう。そもそも脳内に"ホンモノ"がないのだから。
プラモデルにモーターを仕込んで歩かせたのを撮影しても、実物大に見せることはおそらく出来ないと思う。解像度が足りない。
じゃあ実際にお台場のガンダムにモーターを仕込んでヤカンを持ち上げさせて、最初に貼ったカップヌードルのCMと同じアクションをさせたら
同じ映像が撮れるのだろうか。撮れないのだろうか。ぜんぜん想像がつかない。
逆に、「知っているものだけで構成された18m大の二足歩行型ロボット」のCGだったらどうだろうか。
エンジンとか鉄パイプとかでできたガンダム状のものならリアルに見えるのだろうか。
つらつら書いたが、恐ろしく思ったのは「人間のイマジネーションはやっぱり"実物"でしか定着しないのだろうか」ということについてである。
全く見たこともない世界を、あたかもそれが実在するようにCGで創りだして、それをホンモノだと信じこむことはできるのだろうか。
そんなことをする必要はないのかもしれないが、なぜ同じ水準の技術で作られたはずの人間のCGとクリーチャーのCGとロボットのCGを比べた時に
「ホンモノ度」が異なって見えるのだろうか。全然わからん。見たことないものしか信じられないのだとしたら、人間はとてもしょぼい。
ホンモノの映像を見て「CGだと思った」というのはよくある話だけど(クルマのCMなんかほとんどそうだよね)
CGを見て「ホンモノかと思った」というのは、ホンモノを見たことがないと感じられない、というのは果たして当たり前のことなんだろうか。
CGによって死者は蘇るが、恐竜は蘇らない。
自動車は空を飛ぶが、ガンダムはいつまでたっても歩かない。その理由をだれか教えてほしい。
追記/押井守氏が言ってるのは以下URL(元記事は消えてるのでTumblrより)
つまり「未体験の映像」は認識不可能なんじゃ、という話。だったらガンダムもネジとかシリンダーでしかリアリティを増すことはできない。
「これめちゃくちゃすごい謎テクノロジーでくっついてるんですよ」って未来の人に言われても信じられない。
だとしたら俺達はホンモノのガンダムに辿りつけない。既存の実在するディテールを盛り込むというアプローチは80年代にやり尽くされたのではないか。
お台場のガンダムはそのへんのイマジネーションや空想の余地を殺すのに最高の力を発揮したと思う。なぜならそこに"立っている"からだ。

「恐竜はすでに存在しない」し、「実際のガンダムはセル画」なので
想像することは出来ないと思いますよ。
押井守ではないですが「誰も見た事が無いゆえに、誰も見た事が無い映像を
作ることは出来ない」というやつですね。
想像することは出来ないと思いますよ。
押井守ではないですが「誰も見た事が無いゆえに、誰も見た事が無い映像を
作ることは出来ない」というやつですね。
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じつは「セル画のガンダムをどうやってリアルに見せられるかな〜という遊び(プラモデルやCGの高解像度化)に意味はない」という結論が恐ろしくなってこれを書きました。
経験のストック説はおぼろげながらに理解できます。ストックがない人ほどすぐにヘボいCGや実物大プロップをリアルだリアルだと祭り上げる傾向にあるな、ということを考えたりもします。

別冊センチネルのかとき氏のインタビューに一つの回答があると思いますよ。ストレンジなリアル感というやつですね。
「ストレンジなリアル感」のカトキインタビューは100回以上読んでますが、
カトキ氏が言っている"ストレンジ"というのは「経験を持っている人、リアリティについて考えたことのある人にしか分からないリアル」というのがあって
果たしてそれは受け入れられるかどうかのギリギリのラインなんじゃよ、という話だと理解してますので、ここでの話とはちょいズレると思います。
いまやISSからとんでもなく高解像度の映像や写真がリアルタイムで届けられる時代ですし、
CGで生身の人間を一人復活させられる時代(いずれも1989年には体験できなかったはずです)であるにもかかわらず、
リアルな(実在していると勘違いしてしまうような)架空の宇宙ステーションは見たことがない。それはなぜだろう、という疑問を綴ってみました。
カトキ氏が言っている"ストレンジ"というのは「経験を持っている人、リアリティについて考えたことのある人にしか分からないリアル」というのがあって
果たしてそれは受け入れられるかどうかのギリギリのラインなんじゃよ、という話だと理解してますので、ここでの話とはちょいズレると思います。
いまやISSからとんでもなく高解像度の映像や写真がリアルタイムで届けられる時代ですし、
CGで生身の人間を一人復活させられる時代(いずれも1989年には体験できなかったはずです)であるにもかかわらず、
リアルな(実在していると勘違いしてしまうような)架空の宇宙ステーションは見たことがない。それはなぜだろう、という疑問を綴ってみました。

ワイルドスピード、彼のシーンはCG使ってたのか
てっきり氏の兄弟が演じているのかとばかり。今度見てみようかな
てっきり氏の兄弟が演じているのかとばかり。今度見てみようかな

人の経験のストックでリアル感が補完されるという話で言えば、寝てる時に見てる夢もまさにそんな感じじゃないですかね。
中学生の頃の自分は夢の中でバイクに乗っても自転車くらいのスピードしか出せなかったのが、バイクに乗るようになってからだと夢の中でも普通にスピードを出せるようになってることに気づいて、自分が体験してない事は夢の中では実現出来ないんだと理解しました。
そういえば、夢の中でバルキリー(ファイター形態)に遭遇した事がありますが、これは現実の戦闘機について見知ってるから出来た話だってことですね。
中学生の頃の自分は夢の中でバイクに乗っても自転車くらいのスピードしか出せなかったのが、バイクに乗るようになってからだと夢の中でも普通にスピードを出せるようになってることに気づいて、自分が体験してない事は夢の中では実現出来ないんだと理解しました。
そういえば、夢の中でバルキリー(ファイター形態)に遭遇した事がありますが、これは現実の戦闘機について見知ってるから出来た話だってことですね。

完全に主観でコメントさせていただきます。
ガンタムがCGに見えてしまうのは「見たことが無い」というよりも「リアリティが無い」からだと思います。
ガンダムがあんな大きなやかんを持っている姿に、そこまで金をかけるはずも無いだとか、違和感があるのかなと。
仮に、超ロボット好きが集まって、実際に製造過程のあるドキュメンタリーみたいな映像と、歩いた瞬間の感動で抱き合っているシーンを見せられたら、それは今のCG技術ならつい信じてしまうのかなと・・・どうでしょうか。
ガンタムがCGに見えてしまうのは「見たことが無い」というよりも「リアリティが無い」からだと思います。
ガンダムがあんな大きなやかんを持っている姿に、そこまで金をかけるはずも無いだとか、違和感があるのかなと。
仮に、超ロボット好きが集まって、実際に製造過程のあるドキュメンタリーみたいな映像と、歩いた瞬間の感動で抱き合っているシーンを見せられたら、それは今のCG技術ならつい信じてしまうのかなと・・・どうでしょうか。
>nakiさん
つまりリアリティとはストーリーである、という論考でしょうか。興味深いです。
「ヤカンを持っているからリアルではない」は考察として微妙ですが(ではなぜ大きなヤカンはリアルに描けないのでしょうか)、
そこらへんにもいろいろとヒントが隠れていそうです。
つまりリアリティとはストーリーである、という論考でしょうか。興味深いです。
「ヤカンを持っているからリアルではない」は考察として微妙ですが(ではなぜ大きなヤカンはリアルに描けないのでしょうか)、
そこらへんにもいろいろとヒントが隠れていそうです。
>syamaさん
夢は確かに経験の複合でしかありません。
が、見たことないクリーチャーをCGで書くことはできます。
(アバターとかありましたよね)
で、アバター見ても「うわー本当にいるのかな?」とは思いません。
何故でしょう、という話。
夢は確かに経験の複合でしかありません。
が、見たことないクリーチャーをCGで書くことはできます。
(アバターとかありましたよね)
で、アバター見ても「うわー本当にいるのかな?」とは思いません。
何故でしょう、という話。