『MAD MAX』で荒野を走ったあとは『TOMORROWLAND』を観て未来を掴め!!

▲あえてティーザーを貼る。これ以上の情報を仕入れてから観るのはヤボだと思う。

ディズニーランドを「ディズニーのコンテンツを体感的に楽しむためのテーマパーク」だと定義する。
その構成要素のほとんどが「お姫様」と「冒険」である。
男も女も、老いも若きも、その幻想にうっとりし、笑顔になり、まるで自分がヒーローやヒロインになった気分になれる。
そんななかで異彩を放っているゾーンがトゥモローランドである。
ウエスタンであるとか、欧州の古城であるとか、ジャングルであるとか、そういう場所性やエスニシティとは無縁の
輝かしくも抽象的な「未来」を70〜80年代のビジョンで立体化しているからだ。

この映画の悪役は「ディストピア」であり、正義は「輝かしい未来」である。
その代弁者がキャラクターとなって、正しい未来を選択する物語である。
(エスニシティとは無縁の戦いだからこそ映画にしやすいのも2015年ならではだな、と思った。)

なぜウォルトディズニーは冒険譚やお姫様の出てくる映画を作りながら、彼のテーマパークに「トゥモローランド」というゾーンを設けたのか。
その理由はただひとつで、我々が目指すべきはディストピアではなく輝かしい未来だからである。
輝かしい未来は、たゆまぬイマジネーションの前進と、それを信じる者達によって選択され、掴まれるものである。
そういうストーリーだ。

映像もプロットもガバガバで、科学考証も設定もへったくれもない、正しくファンタジー。
ただその足がかりとして、ケープ・カナベラルにそびえるローンチコンプレックスのひとつ、39A発射台が登場する。
僕はただそれだけで、延々と泣いた。泣きはらした。

サイエンスフィクションではなく、過去の賢人と現代の我々が切り拓いていくべきだと信じた未来が、
ディズニーランドの一角の、白く塗られた、いまでは古びてしまった未来像(シド・ミードも参加してるもんね)と重ね合わされる。
「あなたの未来は、あなたのイマジネーションのなかにあるのだ」というディズニーらしいテーマをメタフィクションに落とし込みながら
「我々が忘れてしまっていた未来」という一見矛盾したビジョン(レトロフューチャーやミッドセンチュリーともちょっと違う)に仕立てる。
だから、と言っていいのだろうか。あのディズニー映画なら必ずある、冒頭のシンデレラ城、あれが全く違うカタチをしているのだ。
オタクならその時点でグッと来るはずだ。

ストーリー不在の「トゥモローランド」、スペースマウンテンやスターツアーズといったライドたち(映画には出てこない)が
(なかば強引とも言える映画の展開によって)カチカチと音を立てて「そこにある意味」を獲得していく。
上手く説明できないのだが、僕らが観るフィクションの世界(ディズニーランド)に散りばめられた伏線が、映画によって回収され、再構築されていく快感。

あなたのディズニーランド体験が、あなたの未来への憧憬が、そして僕らが喜んで摂取しているディストピア的ビジュアルが、
たくさんの意味を持つようになる素晴らしい作品だと思います。

誤解を恐れずに言えば、マッドマックスと同じタイミングで上映されていることにとても意義があると思う。
わりと話題になっていないのが惜しい作品。ぜひ劇場で。

追記/この映画におけるLC39Aの意味
「アメリカは考えるよりも諦めるほうが楽だから人を宇宙に送り出すことをやめてしまった」というアメリカ映画。
宇宙に行くことは実利ではなく「輝かしい未来を人類が掴み取るためのチャレンジ」であって、その象徴としてのケープ・カナベラル、39A発射台が出てくる。
そしてこの映画においてLC39Aはシンデレラ城なのだ。
ディズニーにおけるシンデレラ城を、アポロとスペースシャトルを送り出した発射台に置き換えて話は進む。
シンデレラ城が解体されるディズニーランドがあり得ないように、ケープの発射台が解体される未来もまた、あり得てはならないのである。
そして「トラス」が持つ力強さは「未来への架け橋としての構造」として反復される。
イメージは意志である。それが未来を指しているならば、ロケットすら飛ぶ。その真意は映像で確認してみてほしい。すごいから。

by kala-pattar | 2015-07-03 00:15 | Movie&Books