【エベレスト3D】人はなぜ山に登るのか。【観てきた】

▲3DじゃなくてもOKですよ。


まずはこれを読んでほしい。
ざっくり言うと、1996年にエベレスト登山に行った人たちがバンバン死にましたというハナシです。

90年代にエベレストでの商業登山が流行ると、エベレスト登頂は探検ではなく「金と時間があれば誰でも挑戦できるもの」になったのです。
が、金も時間も関係なく、エベレストの山頂は「そこにいるだけで死ぬ」という人が立ち入ってはいけない領域なんですね。
酸素が薄けりゃ頭ぱっぱらぱーになりますし、指とか鼻とか凍ってモゲるくらい寒いし、転んだらグチャグチャのバラバラになるまで滑落します。
そういうところで起きた本当の遭難事故を淡々と描いた映画、それが『エベレスト3D』なんですね。

正直3Dでよかったなーというところはルクラからのエベレスト街道で吊橋を歩いているシーンとかが効果的でしたけど
その他はぜんぜん2DでOKな印象でした。

それより何よりこの映画が(というかエベレストが)すごいのは、
「ストーリーもドラマもへったくれもなく、思惑や経験や人格の良し悪しとは無関係に、
疲れたとか寒いとか歩きたくないとかダルいとかそういうシンプルな理由で人間が順番に死んでいく」というところでしょう。

自分も登山のようなことをするのでいろいろと遭難事故の記録を読み漁ったりするんですが、
だいたいは「なんだかわからないうちに大量に死ぬ」という印象なんですよね。
逆に言うと、登山をしていたパーティーが大量に死ぬ時って
「なにがなんだかわからない、人が生きるための判断ができなくなっている」という状況なんですよ。
なにがなんだかわかっていれば、まだ冷静な判断ができる。
寒ければどうするか、腹が減ったらどうするか、疲れたらどうするか、それらを予防するために何をするべきか。
人が生きるというのはつまりそういう判断の積み重ねなわけです。平地にいても。
しかしですよ、非日常空間で、持ち物が限定されて、山頂という目的があると、人は簡単に判断を誤る。
何人かいれば合議でいろいろと是正さそうなもんですけど、パニックというのは簡単に起きる。
元気のある人とそうでない人の間の齟齬や軋轢もそれを助長する。

毎年毎年登山では大小さまざまな遭難事故が起きます。
山がどんなところなのかを知らない人はそれがなぜ起きて、どうすればよかったのかを語りたがりますが、
それはたいてい理想論であったり、的を射た意見ではなかったりします。
山とはなにか、そこでどんなことが起きうるのか。良し悪しはさておき、どんな場所なのかを知るにはいい映画だなぁと思いました。
ひたすら疲れるし、ひたすら辛いですけれども。

当然ながら3000〜5000m程度の山に登るのと、8000m峰に登るのは次元が違います。
人が順応できない空間に自らの脚で踏み入れるという行為はやはりとても不自然で、だからこそチャレンジしたくなるんでしょう。
もし「命のやり取り」と「達成感」とが紙一重だとするならば、いつかどこかで勇気ある判断(進む/退く)を迫られる。
そこらへん忘れたらアカンで、俺。みたいなことを思いながら、映画館を後にするのでした。くたびれた……。

by kala-pattar | 2015-11-30 23:12 | Movie&Books | Comments(0)