タミヤの年末キャンペーンから考える「プラモは誰のものか」という話。

■要約すると何が言いたいのか


「プラモデルとは買ってきたら作るべきものである」というのは確かに正しいのだけれど、
プラモデルは買うのも楽しいしランナーを噛んで味見するのも楽しい。
買わずに店でフラフラするのもネットで他人の作品見るのも尻で踏むのも悪いことじゃない。
爆竹で発破するのも人知れず組み立てて捨てるのも正解だ。

それぞれのイデオロギーを引っさげて喧嘩をするのは時間の無駄なので、
「人生かけて最高傑作をひとつだけ作るのも全部カルチャーだし、積むだけ積んでひとつも作らないのもカルチャーである。」
というのをみんなで共有することが大事なんじゃないですかね。

だからこそ、ひとりひとりがメディアになって、自分がいかに楽しくてしょうがないかを書いたり話したりしようよ。
と、思うのです。





■タミヤの年末キャンペーンがもつ意味


タミヤが毎年12月になると提唱するキャンペーンがこちら。
>年末年始のお休みは、じっくりと ビッグモデルにチャレンジ!
ビッグモデルというのは1/32の飛行機とか1/12の自動車とか1/6のバイクとか1/16の戦車とかを指しているんですけど、
この「年末年始はクソデカい模型を作れ」というあんまり根拠ないけど納得感が半端ないリコメンドなんですね。
タミヤというメーカーが全ジャンルで「ビッグモデル」を展開しているからこそ言えることだと思うし、
なんとなくクリスマスとかお年玉とか年末年始休暇みたいなのがモワ〜っと楽しいプラモライフと繋がる。

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▲めちゃくちゃ力強いと思う。この押し出し。この強気。この自信。



どっこい、これらのモデルってめちゃくちゃデカいしけっこうなお値段がするわけです。
Twitterでは「正月休み中に完成させられる気がしない。(´д`|||)」というリアクションをもらったり。
確かにそうなんですよね。
プラモデルって「マジメにメーカーの完成見本と同じもの作ろうとすると何週間も何ヶ月もかかるもの」という印象がある。
つまり休暇とはいえなんだかんだと忙しい年末年始でバシーっとビッグモデルを完成させるのって
ホントのところはなかなか難しい。
タミヤさんも多分そのことは分かっている思うんですけど、いいんですよ。
ワクワクしてもらう、クリスマスは大きな模型を買ってもらう、お年玉で大きな模型を買いに行く。
そういうのを推奨する姿勢ってとても「フツウのこと」じゃないですか。そのプラモが完成するかどうかは大きな問題じゃない。
模型の持つ楽しさ、模型の持つ面白さ、大きい模型を買う興奮。そういうのを分かっているからこそ
タミヤってビッグモデルを作って、今も昔も変わらずデベロップしてるんじゃないかな、と。
この「フツウのこと」が重要で、じつはあんまり顧みられてないことなんじゃないかなとしばしば思います。

■「完成」の定義を変えれば年末年始休暇でもで模型は完成する


私は冗談半分ですが
「正月休み中に終わる作業しかしないと決めてかかれば作れるんじゃないか。
終わらないことをやろうとするから終わらないのだ」という思想(プラモマッチョ主義)の持ち主であります。

プラモには「そもそもの素材としての出来」「自分の腕(持っているツールやマテリアル含む)」「成果物の出来」という3つのパラメーターがあります。
最高の素材を最高の仕上げで最高の作品にしようとすると人生を賭けなきゃいけなくなりますし、
毎日毎日欲しいプラモが発売されて家の在庫が増え続けてしまいます(買わなきゃいいじゃん、と言われても買っちゃうのがプラモ者のサダメなのです)。
なので私は「このプラモとは◯◯時間しか向き合わない」という別のパラメーターを用意して、
素材は「自分の好きなもの」、ツールとマテリアルは「買える範囲で最高のもの」、
そして仕上げは「その時間内でできること」で終わらせることにしてます。そうすっと、所定の時間で終わります。

もちろん常に真剣勝負で究極の一品をつくり上げるスタイルも否定しませんが、
趣味において大事なのは「疲れないこと、楽しむこと、新しい物も貪欲に味わうこと」だと思っていて
「日々真剣勝負で疲れない」というマインドセットはなかなか常人にできるもんじゃありません。
自分の趣味と長く付き合っていく方法を考えないと、
人はどんどん疲れ、生活空間を在庫が圧迫するようになり、その状態と向き合うことそのものがイヤになってしまうんじゃないかと。

私はふつうのプラモなら4〜5日、どうしても仕事で作らなきゃいけないものでも10日くらいしか向き合えません。
それ以上向き合ってると「当初の想定と違うこと」「自分ができなかったこと」
「場所ごとに発生するクオリティのばらつき」みたいなものと対峙し続けることになって、絶対に投げちゃうダメダメ人間です。
趣味というのは続けてナンボだよ、と思う私にとっては「そのとき自分がやりたいと思ったことをやれるようにやるのが模型のコツ」なのです。
だから完成というのはメーカー完成見本と同じものにたどり着くことじゃない。その人が完成したと思えばそこが完成でいいと思う。
箱買ってきて終わり〜でもいいし。貼って終わり〜でもいいし。缶スプレーで金色に塗ってわはは!でもいい。これでいいのだ。

■「若者のプラモ離れ」は本当か


SNSを眺めていると、模型ファンによる「若者のプラモデル離れ論」に出会うことがしばしばあります。

プラモ好きな若者を育てるべきだ。コンテストや展示会をもっと用意すべきだ。
もっと簡単に作れる方法を提示すべきだ。メーカーは初心者向けの模型に注力せよ。

どれも間違った主張ではないと思います。どの意見も確かに模型を作る人を減らしはしないでしょう。
しかし、若者は本当にプラモデルを作らなくなってしまったのでしょうか。
(どんな世代がどんな消費行動をしているのか詳細なデータを持たずにトレンドを語るのはとても危険なことです)

本当に若い人を引きつけて、スーパーカーブーム時代やガンプラブーム時代のようなある種の「プラモブーム」を起こしたければ
「若い人が全員振り向くようなコンテンツを作ってそのプラモデルを売る」とか「圧倒的にめちゃくちゃ儲かってるメーカーが死ぬほど広告を打つ」とか、
「とんでもなく楽しい模型が誕生した結果、テレビや雑誌やウェブメディアで毎日絶賛される」という状況が必要になると思いますが、
現在のプラモデルというのはそもそもそういう種類のカルチャーじゃないし、若い人でも作る人は作ってるぞ。という感じでいいんじゃないでしょうか。
(かつて存在しないと思われていた女性のモデラーが可視化したことでいろいろ持ち上げられたりしているわけですし)
たとえ若者がいなくても、カルチャーは持続します。アンテナの高い若者がワッと押し寄せるところから一過性のブームが始まるのであって、
趣味に血道を挙げ、そのカルチャーをしっかり支えるのはやっぱり「時間やお金の使い方が分かってきた世代」ではないのかと。

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▲プラモブームってプラモじゃないもののブームでしか起きてない気がする/出典はこちら(pdf)



プラモ好きな若者は一定の確率で生まれ続けると信じています。
コンテストも展示会も、SNSの台頭でずいぶん可視化され、むしろメンバーの募集やウェブでの作品見せ合いっこはやりやすくなりました。
接着剤を使わなくても作れるプラモは80年代の数百倍増えたかもしれませんが、ユーザーが数百倍になったわけではありません。
簡単なプラモデルは増えたかもしれませんが、メーカーは精密で出来の良いプラモデルが大好きなベテランのことも大事にしています。

■「簡単なプラモ」より「楽しみ方の多様性」の提示に本質がある


タミヤの新製品、ロードスターのプラモデルを製作できるイベントで、スタッフさんが
「(シャーシの裏の塗り分けが)面倒臭い場合は真っ黒でもいいんじゃないですか」と言ったというツイートがありました。
これ、最高だと思うんですよね。

タミヤは確かに「組みやすいプラモデル」を作るメーカーです。
しかし、それらは決して「簡単なプラモデル」では無いと思うのです。
タミヤは接着剤を、塗料を、ヤスリや刃物や様々なツール/マテリアルを自社ブランドで展開しています。
それらを使う喜びや楽しみをいかにして味わい、共有するかということに対してとても真摯だからこそ
プラモデルメーカーとしてあらゆる人々に親しまれているんじゃないでしょうか。

つまり「簡単だけど精密に見えるプラモデルを作ること」って、話題作りにはなっても持続性に乏しかったり、
「人それぞれに違うものが現れる」というプラモデルの本質的な面白さをスポイルしてしまう可能性を持っている。
プラモデルは未完成の状態で売るものであるがゆえに本質的に進化できないオモチャだと思います。
だったら、そのカルチャーがいかに豊かで、楽しくて、幅広く、優しいのかを提示できなければいけないのかな、と。

「こういう道具を買ってこうしてこうしてこうするとこんなにスゴイものが出来ます!」というのも楽しい。
そのための努力や投資、ミスった時のリカバリーもアドレナリン全開になります。

でも、「ここはめんどくさいし完成したら見えないから貼らなくていいです」
「失敗してパーツふっ飛ばしても誰も怒らないからそのまま進んでオッケーですよ」
「ここは裏返さないと気にならないから面倒ならなんか適当に黒でも塗っておきましょう」
「あなたの脳内にある完成形の8割くらいの出来でも『出来たよ〜』って言ったらみんなホメてくれます」
というのも等価だと思うのです。そんな人も、同じくプラモデルという趣味に飛び込んでくれたんですから。

■プラモデルをみんなのものにするために


プラモって、とりあえず貼れば形になりますし、塗っても塗らなくても塗りたいところだけ塗ってもイイんです。
箱だけ置いといてもそこそこかっこいいと思います。中途半端に組んだのもかっこいいんです。
だから大丈夫だよ肩の力抜けよっていう話をする栗山千明とかが出現すればそれが阿弥陀如来だと思うんですけど出現しないですね。
なので「プラモ知らんかった人もプラモが欲しくなるビジュアル」を見せる人が出てくるといいなぁ、と。

プラモは概念というか宗教に近いと思うんです。クリスマス、初詣、お盆、プラモデル。祝祭ですね。
それにハマるかどうかっていうのは教義の良し悪しや修行の厳しさ簡単さではなく、「幸せになりますよ」という伝道の方法にある気がします。
「若者の仏教離れ!」→「じゃあ念仏を現代語にして20秒で終わるようにすればいいのでは!」と言っても、それは本質から離れてしまう。
(南無阿弥陀仏って唱えれば救われまっせ〜みたいなのはブームになったけどそれはいち宗派に落ち着くよね、みたいな)
やっぱり教えの素晴らしさを翻訳する坊さんとか素晴らしいお寺や仏像をきちんと説明する人がいればハマる人はハマるよね。っていう。
土門拳が仏教徒だったかどうか知らんし、彼が仏教徒を増やしたいという願望を持っていたのかどうか知らんけど、
見る人に「仏像ってパねぇな」と思わせるビジュアルを量産したという意味では間違いなく伝道師なんじゃないかしら。

いきなり話が飛んだようですけど、ドイツレベルがそういう意味でちょっとおもしろい。

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▲ドイツレベルのオフィシャル画像。BMW i8の製品画像としてコレがupされてた。


なんか、素敵じゃないですか。プラモデル。
このプラモデルが簡単かどうか、若い人向けなのかベテラン向けなのかなんだかわからん。
けど楽しそうだし、幸せそうです。ビンボ臭くないし、言葉は要らない。とにかく、「いいプラモ作りの図」として優れている。
ホントはこんな環境じゃプラモデル作れないし、ぶっちゃけこの人が何をしているのかわからない。
でも、プラモって素敵なんです。そんな声が聴こえる。ドイツの土門拳から。ホントか?

■カルチャーを作るのはメディアだぜ


メーカーは頑張ってます。多分。「フツウのこと」がわかってるメーカーは、モデラーじゃない人にもちゃんと向き合ってる。
ユーザーも頑張ってます。買ってるし、作ってるし、積んでタハハ〜と言ってる人もいる。
頼まれてもいないのにTwitterで見せ合ったり作り方教えたりして、無料で展示会やったり、コンテストやったり。
必要なのはそういう人たちの頑張りを「楽しそうだべ〜!!」「努力してんだべ〜!!」と伝えるビジュアルとか、テキストじゃないかしら。

「こんな製品が出ました!それをこの達人が作りました!ココを改造しました!(お前もやりたいだろ?)」というのと同時に
「俺たちプラモ好きなんだよ。すげー楽しいしだれも怒らないし
みんなそれぞれ(作ったり作らなかったりして)楽しんでるからちょっと見ていってよ」というオルタナティブ、あっていいと思うな〜。
「こうなってないのがおかしい!」って内ゲバやるのでも「こうしたらお前にもできるだろ!」って丸いナイフを突きつけるのでもなく。

どうかな〜。社会性ってそういうことじゃん。「年末年始だしデカい模型買おうぜ〜!」って、出来そうで出来ない。
「タミヤのそういうところ、すっげ〜な〜! 根拠ないけど、めっちゃ正しいな〜!!!」と思ったところから、いろいろ脱線しました。おしまい。

(追記)この記事を書いたきっかけ、じつはこの記事です。
改題:バーチャルリアリティはバブルなのか?僕らのVRがもっと 面白くなる には?/aki's right brain
これ、めちゃくちゃ示唆に富んだ内容なのですべての趣味人に読んでもらいたいです。




by kala-pattar | 2015-12-08 00:18 | プラモデル