新作を見て「俺たちはスターウォーズの何が好きだったのか」がわからなくなった話
2015年 12月 19日

声が出るほどの嗚咽、そして真顔。また嗚咽。
俺は思った。
ジョージ・ルーカスという人は、とても変な映画を撮っていた。
STAR WARSというのは「そうじゃねえだろ!」というツッコミどころにまみれた映画だ。
カッコ悪い脇役、NGテイクとしか思えない雑なアクション、妙なトランジション。
ルーカスが言いたいことを言うために謎の飛躍があって、説明過多と説明不足が交互に訪れる。
何よりあの映画はSFではなく、壮大なスペースファンタジーであり、
どんなに痛々しいシーンもシリアスになりすぎないようコメディタッチの調味料がぶっかけてある。
とにかく、SWシリーズというのは「よく出来た映画」とはほど遠いのだ。
……ということに、恥ずかしながらようやく気づいた。
公開初日の熱気に溢れかえる映画館で、最新のスターウォーズを見ながら。
なぜ、私たちはSWが好きなのだろうか。
おそらく、新作を撮影するJJエイブラムスも必死こいて考えたのだろう。
俺たちはジョー・ジョンストンの生み出したメカが好きだ。
俺たちはライトセーバーを使った剣戟が好きだ。
女の子は美人すぎなくて、でも気丈で勇敢なのがいい。
悪い奴だがどこか憎めない賞金稼ぎの荒くれ者も、彼らが集まる得体のしれない居酒屋も好きだ。
空を飛ぶシーン、地を滑るシーン、宇宙、砂漠、森林、雪原。どのシーンも大好きだ。
『フォースの覚醒』は何もかもが完璧な映画だ。
オタクが何かにいちゃもんを付けるときに使うもっとも簡単な言葉、「××が足りない!」が通じない。
何もかもが、136分のなかに無駄なく整然と必然的にガッチリとディスプレイされていた。
SWが好きな奴の作った、SWとして不足してはならないことが全部盛り込んである映画。
それは幕の内弁当である。煮物、揚げ物、焼き魚、ミートボール、おひたし、お新香。ちょっとした甘味。
我々は白米を食って「この味よ!」とむせび泣く。黄色い字の前説、あのテーマ曲、ハンとレイア、老ルーク。
どうしてくれよう。僕らは何が好きだったのだろう。
SWという作品の不完全さ、ルーカスという人のダメなところ?
それとも、SWという作品のなかにキラリと輝くオンリーワンなアイディア、造形?
それが入り混じっているからこそ、今の今まで愛せたのだろうか。
だとしたら、これからどうやって生きていけばいいのだろう。
ただ、ラストシーンで私はひたすらに泣いた。声を出して泣いた。
そして勝手にメッセージを受け取って、「この映画は最高だ」と納得することにした。
人は歳をとる。いつか死ぬ。
しかし、歳を取ることはとてもステキなことだ。
かっこよく歳をとろう。いつまでも正直でいよう。
そうすればまた、素晴らしい作品に巡り合ってこういう話を誰かとできるのだから。
by kala-pattar
| 2015-12-19 23:34
| STAR WARS