街にあふれる文字をホメるために我々が読むべき本/『タイポさんぽ改』
2016年 04月 13日
藤本"ANI"健太郎の著書がドロップされたので早速購入した。
>タイポさんぽ改: 路上の文字観察

▲表紙からして、きわめてうるさい。
街中に潜むタイポグラフィを丁寧に蒐集し、その成り立ちを8割妄想で書き綴る。
写真+テキストで構成された書籍であり、「改」の字からも分かる通りタイポさんぽ―路上の文字観察
(2012刊)の増補改訂版である。
判型が大きくなり、写真とテキストが入り組んだ雑誌的構成になったことで
読み下しやすさはやや低下した感が否めないが、まっすぐに一気に読む本ではなく、
暇な時にぱらりと開いて写真にわははと笑い、そのキャプションを読むというのが正しい態度だろう。
ここで書いたとおり、タイポ蒐集癖は藤本健太郎という男の病である。
カメラを常に携え、眠かろうが疲れていようが酔っ払っていようが、常に街中の文字に注意が向けられるという特殊能力は
我々が「気が向いた時に看板に注目する」というテンションとは段違いの集中力に裏付けられたものであり
意識無意識の外にある「フルスクラッチの文字を愛でる癖」にほかならない。
(常にカメラを持ち歩くという心構えもまた、怠けがちな俺には真似できない。)
それがフォント(既成の文字のフォルムの一揃え)ではなく、職人の手による一品物かどうかを一撃で見抜き、
職人が何を考えて文字を生み出したのか考える。なんと芳醇な趣味だろうか。
最近クルマを買って休日に転がすという極めてなんということはない遊びを覚えたので
何かを見つけた時にすぐ写真が撮れるようダッシュボードにカメラを転がしておくことにした。
で、幸いにも楽しげなタイポグラフィを発見したので僭越ながら紹介させていただきたい。

▲朽ちまくりのコーヒーショップである。
これは浮島町公園に飛行機を撮影しに行く道すがら思わず撮影してしまった看板。
閉店したことによって降りっぱなしのシャッターを見て『フロリダ』という店名を確認することができた。
落ちてしまった「専」と「ロ」の字、右側を欠いた「門」、一点の釘でかろうじてぶら下がる「リ」の二画目。
エントロピーは増大し、意味は曖昧になっていく。そんな風情に気を取られていたが、
本日この写真をまじまじと見ていたら気づいてしまった。
左下のオレンジ色の丸に描かれたコーヒーカップ&ソーサーの妙なシルエットだ。
じっと見ていると、それが「フロリタ」の四文字を変形して組み合わせたものであることに気づく。
「ロ」が丸くなり、「ダ」の濁点を無視したそのデフォルメはもはや職人の意地でしかない。
こんな「強い意思」が街の何気ない風景のなかに潜んでいることを知っている者は幸せである。
『タイポさんぽ改』は妙な文字を笑い飛ばしたり、褒め殺したりする斜に構えた本ではない。
そこに現れるべくして現れたタイポグラファーの意地とデザインに潜む必然性を、軽妙な筆致ながら真摯に捉えつくそうとする試みである。
世の中に生まれたデザインにどんな気持ちが込められているのか、みんなで語り合うための教科書として
どんなものも褒められる語彙や思考法を養うための参考書として、万人にオススメしたい名著である。
>タイポさんぽ改: 路上の文字観察

街中に潜むタイポグラフィを丁寧に蒐集し、その成り立ちを8割妄想で書き綴る。
写真+テキストで構成された書籍であり、「改」の字からも分かる通りタイポさんぽ―路上の文字観察
判型が大きくなり、写真とテキストが入り組んだ雑誌的構成になったことで
読み下しやすさはやや低下した感が否めないが、まっすぐに一気に読む本ではなく、
暇な時にぱらりと開いて写真にわははと笑い、そのキャプションを読むというのが正しい態度だろう。
ここで書いたとおり、タイポ蒐集癖は藤本健太郎という男の病である。
カメラを常に携え、眠かろうが疲れていようが酔っ払っていようが、常に街中の文字に注意が向けられるという特殊能力は
我々が「気が向いた時に看板に注目する」というテンションとは段違いの集中力に裏付けられたものであり
意識無意識の外にある「フルスクラッチの文字を愛でる癖」にほかならない。
(常にカメラを持ち歩くという心構えもまた、怠けがちな俺には真似できない。)
それがフォント(既成の文字のフォルムの一揃え)ではなく、職人の手による一品物かどうかを一撃で見抜き、
職人が何を考えて文字を生み出したのか考える。なんと芳醇な趣味だろうか。
最近クルマを買って休日に転がすという極めてなんということはない遊びを覚えたので
何かを見つけた時にすぐ写真が撮れるようダッシュボードにカメラを転がしておくことにした。
で、幸いにも楽しげなタイポグラフィを発見したので僭越ながら紹介させていただきたい。

これは浮島町公園に飛行機を撮影しに行く道すがら思わず撮影してしまった看板。
閉店したことによって降りっぱなしのシャッターを見て『フロリダ』という店名を確認することができた。
落ちてしまった「専」と「ロ」の字、右側を欠いた「門」、一点の釘でかろうじてぶら下がる「リ」の二画目。
エントロピーは増大し、意味は曖昧になっていく。そんな風情に気を取られていたが、
本日この写真をまじまじと見ていたら気づいてしまった。
左下のオレンジ色の丸に描かれたコーヒーカップ&ソーサーの妙なシルエットだ。
じっと見ていると、それが「フロリタ」の四文字を変形して組み合わせたものであることに気づく。
「ロ」が丸くなり、「ダ」の濁点を無視したそのデフォルメはもはや職人の意地でしかない。
こんな「強い意思」が街の何気ない風景のなかに潜んでいることを知っている者は幸せである。
『タイポさんぽ改』は妙な文字を笑い飛ばしたり、褒め殺したりする斜に構えた本ではない。
そこに現れるべくして現れたタイポグラファーの意地とデザインに潜む必然性を、軽妙な筆致ながら真摯に捉えつくそうとする試みである。
世の中に生まれたデザインにどんな気持ちが込められているのか、みんなで語り合うための教科書として
どんなものも褒められる語彙や思考法を養うための参考書として、万人にオススメしたい名著である。
by kala-pattar
| 2016-04-13 00:26
| Movie&Books