山で死ぬ人と死なない人を分かつのは何かについて考えてみた

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5月1日から3日にかけて、北アルプスは奥穂高岳を登る山行に出かけてきました。今年の大型連休はとにかく遭難者が多く、
北アルプスに限らずたくさんの山域で事故が多発し、死者の数も例年を上回る印象でした。
穂高岳山荘スタッフであり、写真家でもある宮田八郎さんのブログでは今年の北アで遭難者が多発したことに対してかなり厳しい口調でその原因を綴っており、
当該エントリを目にした人も多かったのではないでしょうか。

俺が北アルプスでも最高地点である奥穂高岳に行って帰ってきてこうしてブログを書いているのはひとえに「生きて帰ってきたから」であり、
その準備と実行において気づいたことがあまりにも多かったため
これから山に登ろうという人はもちろん、山に登ったことがない人にも理解してもらえるようなるべく平易に、かつ具体的にそのすべてを記述しておこうと思います。

あらかじめ断っておきますと、これは登山ガイドやハウトゥではなく、あくまで個人が山行をして感じたことです。
このエントリを参考にして行動するのは自由ですが、あなたの身にもしものことがあっても当然ながら俺は責任を負えません。
GWの北アルプスに入り、山頂を目指した人間のいち記録として読んでいただければ幸いです。

■筆者のキャリアとスキル


・中学高校時代は弱小山岳部で夏、秋、春の2000m級を登る
・大学時代に3000m級の夏季及び秋季登山を始める
・インドアクライミングやアイスクライミングはコーチ付きの講習や経験者との体験を合わせて20回ほど
・アイゼン(靴に装着する鉄の爪)を使った本格的な雪上の歩行は10回ほど
・冬期の登山は今年が初めて(木曽駒、谷川岳、天狗岳、上州武尊山の計4回)
・残雪期(GW)の北アルプスは涸沢カールから涸沢岳を目指すルートを2度踏破

■残雪期登山とは?


残雪期というのは「雪が残る」と書きます。厳冬期とは雪の質や気温が異なるものの、基本的には「雪山」。
夏の登山に必要な道具とスキルに加え、風、雪に対応しうる道具とスキルが求められます。
具体的に言うと、防寒具、アイゼン、ピッケル(ツルハシみたいな道具です)とその操作が必要になります。
当然ながら、買っただけでは使い方がわかりませんし、これに付帯するさまざまな細かいギアと知識も必要になります。
このへんは巷の登山ハウトゥ本にもゴマンと記載されていることなので割愛しますが、
とにかく夏山よりもべらぼうにカネがかかり、荷物は重くなり、覚えることや失敗した時に怪我や死亡に直結するリスクが高まります。

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▲これが5/1の涸沢直下、標高約2000m地点です。見た目は完全に冬ですね。

■事前の準備で気づいたこと


今回は普段パートナーとしている人とひとりも予定が合わず、単独での入山となりました。この時点でひとつ、大きくリスクが増大しています。
行き帰りの交通費というチンケなコスト増加に始まり、歩いている間の暇つぶしや精神的なフォロー、ペース配分も一人では難しくなります。
また、装備のチェックを互いにする、事故時に誰かに助けを求めるというのも難しくなります。
単独行は気ままで楽しいものですが、まずここで自分に対してある程度の不安感がのしかかってくる印象はありました。
これは夏でも同じなので、「山は基本的に複数人で行きましょう」というのはとても大事な考え方だと思います。

スケジュールですが、「休みの日に合わせて行く」というのも大きなリスクです。特に今回のGWは気象の変化が極めて激しく、基本的に山は荒れ模様でした。
天気は地上の天気予報が全くアテにならないので、てんきとくらす(通称「てんくら」)、山の天気予報(通称「ヤマテン」)、
そして吉田産業海洋気象事業部のサイト(とくに寒期予想)などを参考にします。
どれも精度はまずまずですが、天気図の読み方の基本はできてないとあんまり意味ないです。
寒気が来れば当然上空は冷え込みますし、等圧線が詰まれば風が強まりますし、低気圧が来れば雲がもりもり発生します。
今回は5/2が唯一「良い天気が持続する」と言える日だと判断し(これも絶対ではありませんが、「高い確率で」と捉えて下さい)、
その日をアタック(登頂する)日に設定し、入山と下山を前後にプラスしてスケジュールを決めました。

2日が出社日となる勤め人たちがGW前半に入山したり、
3日以降に入山したりしていましたがこれはあまり懸命な判断ではないと考えています(事実、北アルプスでは1日に多くの遭難者が出ました)。
あくまで天気をベースに、悪い場合は諦める(もしくは山域を変更する)という選択肢を残しながら準備を進めるのも大事ではないでしょうか。

ということで、今回は4/30深夜に車で沢渡駐車場(上高地はマイカー規制があるのでここまでしか入れない)に向かい、
車中で仮眠をとった後にバスで上高地(登山口)に入り、そこから横尾を経て涸沢(標高約2300m)に至って一泊、
5/2に涸沢小屋から穂高岳山荘(標高約3000m)へと上がり、そこから奥穂高岳(標高3190m)にアタックして山荘に一泊
(降りてもいいのですが、山荘にはいろんな縁もあって毎度お世話になるのがマイルール)
5/3に穂高岳山荘から一気に上高地に降りるという予定で家を出発したのでした(最後の最後まで天気図とにらめっこ)。

装備はチェックリストをベースに、厳冬期に不要なものをダウングレードする考え方で揃えました。
ただ、荷物が多すぎてバテるのも嫌なので、あえて小さめのバックパックに限界まで詰め込む方針としています。
(これは今年何度か行った雪山山行で要不要を判断したのがかなり効いています)
着替えを減らしたり、車に置いていけるものは車に置いていったり、アタック時に重量物を切り離せるよう大きめのスタッフバッグを用意したりと
「自分の行動と体力に合わせて荷物を用意する」というのは単純にチェックリストの言うがままに詰め込むよりもかなり効率的になります。
しかし命にかかわるものは置いていけませんので、そのへんは完璧に経験則で割り出していくほかありません。
(ガイド付きの冬山ツアーの参加説明書などを読んでも、持ち物リストの完全版を提示してくれるわけではない場合もあるようです)

体調管理とか気力の持って行き方みたいなのも重要ですが、このへんは割愛します。

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▲deuterのフリーライダー(バックカントリースノーボーディング用)は30リットル。トレッキングポールのキャップはバイルの先端に。

■アプローチ


上高地から横尾は平坦な土の道が11km続きます。予報に反してあいにくの雨ですが、これはもう黙って歩くしかありません。
レインウエアを着込んで両手にトレッキングポールを持ち、ひたすら黙々と歩きます。

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▲土砂降りと霧雨と霰がコロコロ入れ替わる天気。気が滅入りますが、想定内。

登山口からは平らな道とは言えど標高は1500m。酸素は平地より僅かに少なく、水の補給や歩行スピードのコントロール、
朝飯の時間、体温のコントロールなどを考えながら歩かないと、あっという間に体力を消耗します。
幸い仮眠後の朝っぱらにも関わらず身体がよく動いたので2時間少々で横尾に到着し、大休止を取ります。

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▲横尾大橋。ここを渡るといかにも「山道」という感じになります。

横尾から本格的登りの目印となる本谷橋まではちょうど1時間。例年のGWならば雪で覆われた斜面をどんどこ歩くところですが、
今年は積雪量が少なかったため、ほとんど雪がありません。
夏に使われている登山道をたどることになりますが、雪解け水は斜面上方からじわじわと染みだしています。
このルートではいっさい危険を感じませんでしたが、じつは2日後にここを下るとき、道が数か所崩れているところがありました。
ひとつは小規模な土砂崩れ(山の土砂崩れのほとんどは春に起こります)。小規模とはいえ人に当たれば死にます。
もうひとつは斜面に積もった雪の下を雪解け水が走り、下が空洞になった状態の部分です。
見た目ではしっかりと積もっているように見えても、踏み抜けば腰まで落ちるような箇所が(もちろん踏み抜いた痕跡も)あります。
登りではかなり気を抜いていましたが(実際何度も通ったことのある道なので全然注意していない)、
下りでこうした光景を見て「ああ、気を抜いたらいかんな」と改めて思った次第。

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▲本谷橋(5/1の様子)

例年ならば本谷橋のかかっている箇所は完全に雪に覆われており、川の流れは深い深い雪の底に隠れているのですが、
今年は完全に流れが露出しており、その水量も大層なもの。GW前に橋がかけられていました。
ここから上は雪上歩行となるため、多くの登山者がアイゼンを装備したり、ストックをピッケルに持ち替えたりしていました。
とはいえ2日後に戻ってくると、景色はさらに夏に近づいており「たった2日でこんなに雪が溶けるのか」と驚きました。

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▲本谷橋(5/3の様子)

上の写真、中央でくつろいでいる人達がいますが、彼らが立っているのは石ころの河原ではなく
スノーブリッジ(先ほど書いた「下が空洞になった状態の薄い雪の層」)の上に、この春転がり落ちてきた大量の土砂が乗ったところです。
正直言って、いつ崩れて(見えないけれど)下をどうどうと流れる川の奔流にぶちこまれるかわからないところです。
また、橋がかかっているのにも関わらずこのスノーブリッジを渡ってドシドシと歩く登山者を見てけっこう唖然としたのを覚えています。

橋がなんのために掛けられているのか。そして斜面が緩みまくっていつ巨石や雪の塊が落ちてくるかわからない春の谷底ではどこで休憩すべきか。
このへんは夏の様相を知っていること、経験者と来てしっかりとアドバイスをもらうことがめちゃくちゃ重要だと感じました。

本谷橋から涸沢は雪の谷をまっすぐ登っていきます。左右は雪崩の巣で、あらゆる木が雪の重圧に負けて谷側に撓んでいます。
新しい落石の痕跡が随所に見られます。斜面を横切るところで登山者とすれちがう時はうっかりすれば滑り落ちそうなところも出てきます。
かなり急な登りが続くので体温が上昇しますが、標高も上がり、地形的にも風が通りぬけやすくなり、休憩時に一気に体温を奪われます。
ヒートテックでは正直ろくに休めません。汗を外に追い出す高機能なベースレイヤー(肌着)は絶対的に必要だと感じました。

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▲涸沢への登り。涸沢ヒュッテが見えてからの登りがホントにきつい(5/2の下りのときに振り向いて撮影)。

いろいろ書きましたが、涸沢までは致命的なことが起きてもその確率はとても低いでしょうし、
いざとなれば一気に降りてしまい、電気ガス水道のある安全圏までたどり着けます。ここまでを「アプローチ」という括りで書いたのはそういう理由です。

■涸沢カールからの登り


この日の宿泊は涸沢小屋。かなりマージンをとって行動し、スピードも早かったので昼前に到着してしまい、
午後は昼寝してからアイスアックスの操作を練習しておきました。
小屋の裏手の急な雪壁や小屋下の斜面を使って、アイゼンとアイスアックス、ピッケルを併用してひたすらウロウロ。
四つん這いになってみたり、真横に移動してみたり、斜面を昇り降りするという感覚を身体に染み込ませます。
(奥穂高岳に至る斜面とは比べ物になりませんが、しかしこれはやっておいてよかったと後で痛感します)

晩飯の時間を過ぎても天候は回復せず、とにかく雨やら霙やらがずっと降り続けています。
もし天候が回復しなければ、明日はこのまま下山することも覚悟します。
山の事故の記録を読むと、その多くが「せっかくここまで来たから」という理由であることに気付かされます。
天気が悪い時に登っても、危険である以前に面白くありません。楽しみに来てるんだから、「天気が悪いなら降りる」というのは正しい判断でしょう。

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▲5/2の朝。雲が薄いので明るく、風も弱い。回復傾向です。

荒れた天気は夜半まで続き、翌朝はまずまずの曇天。稜線(山の上)を見ても雪が吹き上げられるほどの風は吹いていないようなので、アタックを決定します。
朝飯を食べて、30分後には出発。あまり遅いと太陽熱で雪面がどんどんと柔らかくなり、歩きにくくなります。
5月頭の涸沢カールを登るのはこれが3度目ですが、毎回毎回ほんとうに状況が異なります。同じ晴天でも雪の付き方が違うし、雪の質も全く違います。
なので、歩く場所も当然変わります。今回は下から見て右側の斜面を上り、ザイテングラードと呼ばれる小尾根の直下を左側にトラバース(斜面を横切る)。
ザイテングラードを左側からよじ登って、あとはそのまま尾根筋を延々登るというルートになっていました。
夏のザイテングラードも、積雪期の沢筋も歩いたことがあるのでルート的に不安はありませんでしたが、
とにかくピッケルを片手に、一歩ずつ腐り気味の雪を踏みしめていきます。

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▲右上部に露出した岩の尾根がザイテングラード。

ザイテングラードにとりつき、斜面がかなり急になったところで「これは少々危ないな」という感覚があり、そこで初めてiPodのイヤホンを外しました。
考えてみれば雪崩の音や上方の人の様子(掛け声や落石の注意喚起)が分からないので急登でのイヤホンは避けるべきなのですが正直この辺は舐めていました。

で、それが何かの予兆だったかのように、上から「あっ」と大きな声が聞こえました。
俺の二人前を歩いていた60歳ほどの男性が進行方向に向かって転びました。
アイゼンがしっかりと効いて(=雪面をしっかりと踏んで固くなった状態のところに爪が刺さり、滑らないこと)いない状態で次の足を出したように見えました。
彼は山の教則本で見る通り、即座に制動(滑落を停止するためのアクション)を取りました。
フォームは正しく、うつ伏せでピッケルをしっかりと雪面に突き刺しているのですが、まったく止まりません。
手を伸ばせば届く距離をズルズルと滑り落ちていくのですが、手を出して止められるほどこちらも安定した雪面に立っているわけではありません。
スピードを上げながら、俺の後方を登っていた60歳ほどの男性を巻き込み、もんどり打って一気に加速していくのをただただ見守るしかありません。
ハイマツの小さな茂みのすぐ横に軽トラックほどの岩が露出しており、「ああ、アレにぶつかるのはやめてほしいな」と思って見ていたのですが、
ものすごい音ともに最初の男性の頭が岩に当たって、身体が左右逆に反転するのが見えました。そして、尾根の急斜面の向こう側に消えていったのでした。

最終的にはその急斜面のさらに下、傾斜がゆるやかになったところに彼の身体が現れ、動かなくなったのが見えました。
コケた位置から止まった位置まで、距離にしておよそ300m。落下地点の周囲を歩いていた人が一気に駆け寄り、処置を開始したのを見届けてしばし呆然。
そこでハッとなって、いま落ちた男性がヘルメットをかぶっていなかったことを思い出しました。慌てて自分のザックからヘルメットを取り外し、装着しました。
めちゃくちゃ恥ずかしい思いでした。
何のためのヘルメットなのか、ヘルメットがどういう機能なのかを自分が理解していなかった証拠です。ここも舐めていました。

「コケれば止まらない」ということを目の当たりにして、自分の手と足をフルに活用して登って行きます。
怖いというよりも、とにかく緊張感を高めて、集中するしかない。
普通ならコケない斜面でも、コケたらアウト、という状態をキチンと理解していないと、やはり意識は散漫になります。
ここから30分ほど、両足がしっかりと雪面を捉えているということを一歩一歩意識しながら、着実に登って穂高岳山荘にたどり着きました。

山荘のテラスから涸沢を見下ろしていると、県警のヘリが先ほどの男性を吊り上げて搬送している様子が見えました。
涸沢では毎年滑落事故が起きています。大きな大きな雪の滑り台のようなところで、なぜ命が奪われるのか。
その理由がどうしてもわからなかったのですが、そこにもたくさんのリスクが存在していることをようやく理解した、というのが本音です。

■奥穂高岳アタック


正直言ってテンションは極めて低く、「先程よりも急なところに行く」ということそのものが怖くなっていました。
穂高岳山荘で荷物をより分け、一息付きながらも「今日はこれで終わりにして、去年同様降りてしまえばいいのではないか」
「いまの登りでも充分景色は良かったんじゃないだろうか」と自分を納得させそうになっていました。
ですが、「2日に奥穂高岳を登る」というキーワードでフォローしたTwitterユーザーとたまたま山荘前のテラスで出会いました。
彼らはテント泊で蝶ヶ岳から横尾を経由して涸沢まで上がってきたなかなかの体力の持ち主。
「行きましょう!」と元気な声を掛けられて、なんとか気力を持ち直しました。多分彼がいなかったらやってないと思う。
で、昨年の敗退で得た教訓を噛み締めながら、奥穂に登る決意をしました。

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▲奥穂高岳への登りはじめ。リンク先に飛んで拡大するとルートが見えてくると思います。

岩と氷と雪がミックスになったハシゴまでの急な登り、そしてハシゴを2本超えて右上の雪壁に取り付きます。
自分より先に登っている人をめちゃくちゃよく観察して、ルートをしっかりと頭に叩き込み、そのとおりに動きます。
雪壁の角度は50度くらい、急なところでも60度はないと思うのですが、張り付いてみるとほとんど垂直に感じられます。
雪壁の最下部には岐阜県警の山岳レスキューが設置した転落防止ネットがあるのですが、これが上から見ると非常に頼りない。
(どっこい、あとで聞いた話だとネットを突き破ったり飛び越えたりした人は一人もおらず、レスキュー率100%なのだとか。
これを知っているか知らないかでも、この雪壁の登りに対するマインドは大きく変わってくると思います。知識もまた大事。)

アイスアックスとピッケル、そして両足のアイゼンを思い切り雪面に立てて、一個ずつ確実に効いていることを確かめながら登ります。
登る人が多かったためか、ステップ(足掛けになる穴)が思ったよりもしっかりと発達しており、昨年よりもずいぶんと安心感があります。
雪壁を超えて、滑れば明らかに1000m以上落ちる斜面を横切り、幅15cmほどのトレースをソロソロと、しかし確実に進みます。
たまに向かいからすれ違う人もいます。もはや「怖い」という感覚ではなく、「しっかりと行動しよう」という澄んだ緊張感が脳みそを支配しています。
「間違い尾根」と呼ばれる尾根の雪壁を乗り越えると奥穂高岳山頂まではあと僅か。
先ほどの雪壁よりも短いですが、斜度は明らかに(ネットで読んだのとは反対に!)こちらのほうが急です。

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▲俺に次いで雪壁を上がるTwitterで知り合ったクライマー氏

山頂はただただ絶景で、感激よりも一瞬の緊張感の途切れでひたすらに眠くなりそうな感覚があったことだけを覚えています。
風も強く、決して快適な時間ではありませんでした。そして何より、いま来たところを戻らねばならない、という気の重さ……。

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▲タバコに火をつけるだけで精一杯。ほとんど写真は撮れなかった……。

下りは山岳会の人たちがロープを出して、下降器(ロープをくわえ込んで確実に降りられる器具)を使って雪壁を降りるのを横目に
上りと同じ姿勢で下に向かって移動しなければいけません。これがまた、さっき登ってきたときよりもさらに雪がグズグズになっていて恐ろしい。
あるときには大胆に腕を伸ばして身体を下げ、見えないステップに向かってつま先を思い切り蹴りこまなければならない場面もありました。
しかし、「右手、左足」「左手、右足」このどちらかがしっかりと雪面を捉えているかどうかだけに全神経を集中して力いっぱい雪に爪をぶち込んでへばりつき、
どうにか山荘に帰着。

……と、書いてしまえばどうということはないのですが、気を抜けば間違いなく死んでしまうところが延々続き、
最後には岩と雪と氷が入り混じったボコボコの下りが待ち構えるので、緊張感はむしろ尻上がりになります。
(実際4/30には山荘のすぐ横のハシゴ上の斜面から転落した人が亡くなっています。これはルートのミスが原因と推定されています。)
ルートをどうたどるべきなのか、イメージトレーニングとしてインターネットの山行記や写真、動画を死ぬほど見ましたし、
現地では先行する人や降りてくる人の挙動をまじまじと観察するのがよく効きました。

ちなみに山荘脇で登頂の喜びを噛み締めていたら、ものすごく大きな音とともに雪壁を一人のクライマーが滑り落ち、
例のネットに引っかかって一命をとりとめました。装備といい、身体の運び方といい、素人ではないように見えました。

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▲その日の夕暮れはほんとうにキレイでした。見えているのは笠ヶ岳。

■山を恐れなければ、正しい登山はできないと思う。


ここまで書いたことは、根本的にはすべて間違っていると思います。なぜならば、本来的には山岳会がやっているように、
奥穂高岳への登攀は「経験ある人がしっかりと知識や技術を伝承し、一定のレベルに達したと判断されたメンバーが登頂を許される。
滑落したら死ぬ危険性のある雪壁はきちんとロープによって確保された状態で昇り降りすべき」というのが安全だと感じたからです。

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▲山荘横雪壁を下降する筆者

ただし、「そうでなければ登れないところ」でもないので、当然ながらフリーソロ(確保なしの単独登攀)に挑む人も圧倒的に多いです。
やればできるのですが、「絶対にできる」ではないのがミソです。未熟な人でもそうでない人も、雪の急斜面では何が命を取りに来るかわかりません。
ただ間違いなく言えることは、「万全の準備と究極的な緊張感の持続ができたかどうか」でそのリスクは大きく変わってくるということ。
もうひとつは「それがもしできていても、雪山では運というルーレットが回っている」ということです。

山では「比較的リスクの低い行動」はあっても、「絶対的に正しい行動」「絶対的に安全な行動」というのは根本的にありえません。
(だから山に登るんです、という側面が無責任ながらあると思います)

さらに、登りでも下りでも、去年もその前の山行でも、同じシーズン、同じ行程なのにまったく様子が違います。
なので、今回の登頂で俺が自信を付けたかと聞かれると、それは全くのNOです。
来年の同じシーズン、同じ装備で行ったとして、本当に同じように登れるかと聞かれたら、そうは思えません。誰かを連れて行く自信も全くありません。
ある意味で自分の(精神的な)限界を感じました。それを拡張するのは自分のトレーニングと知識&技術の蓄積にほかなりません。
また、自分よりも経験のある人と山に行くことの重要性をこれ以上ないほど感じました。
ただ、その「経験のある人」も「あなたはこのシーズンのこの山に登れます」というのを教えてくれるわけではありません。
免許や資格で入山を規制したって、ルーレットの前では人は平等です。制度を責めたって死人が帰ってくるわけじゃありません。

けれど、山に登る素晴らしさを知っているからこそ、山に登る人は山に登ってしまう。
ならば、「いつどの山に行くとどんなことが起きるのか」というのを知ることはとても大事だと思います。
インターネットで読みかじった知識だけでは山に行けません。が、インターネットにはたくさんの記録が残っています。
昔よりはるかにたくさんの写真や動画がUPされていて、あらゆるアクシデントについての記述を読むことが出来ます。
ルートをイメージし、写真に捉えられたひとがどんな格好をしていて、どう行動したらどんな時間を使うことになるのか。
読み取れることは非常に多い。逆に言えば、それをイチから全部説明してくれる人などどこにもいません。ガイドだって無理です。
だったら、まず山を恐れましょう。俺はとにかく山が怖い。怖くて怖くて、だから行けた人と行けなかった人の記録をめちゃくちゃ読みます。
読んで読んで、必要なモノを揃えて、家ではニギニギと握力を鍛えながらヤマケイの教則DVDを見ています。
山を恐れないと、自分がどうやって死ぬかもイメージできない。イメージ出来ないと、死にます。

いま山をやってる人、これから山をやろうと思ってる人。どうか、山を恐れて下さい。
でないと、山を登らない人にまで「そら見たことか」と言われてしまう。それはあまりにもバカバカしいことです。

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▲こんな景色が見られるから、やめられないんです。ごめんなさい。

■行けたけど、次も行けるわけじゃない!(蛇足)


ということで、去年の敗退から1年。フィジカルとメンタルに成長があったような気がしますし、知識が助けてくれたこともたくさんありました。
が、一人でやっていいことと悪いことがあるぞ、と。これ、いつかハズレを引くぞ、と。
だって、たまたま登れたのか、自分に実力があるのか、ホントは奇跡が起きて死ぬのを回避できたのか、自分では判断できないですもの。
誰かに見られて、叱責されてみないと分からん。
「やれるから大丈夫だよ」と教えてくれる人も、周りにはいません。

今回はあまたある山の、さらに基本的なルートのひとつを残雪期に登っただけです。
ベテランクライマーからすればハイキングのようなところかもしれない。大それたことを成し遂げたわけではありません。
だけど、その中にもこれだけたくさん気づくことがあり、感銘を受け、時にショッキングなシーンに遭遇します。
だからこそ、来年の雪山シーズンでは(カネや人脈が大事ですけど)経験ある人との登山も視野に入れて次なるステージに行きたい、と強く感じました。

さて、次はどこに行きましょう。

追記/あと「捜索費用ガー」「バカは助けられる資格ナシ」みたいな言説が外野からすごい勢いで飛んでくるの見るのもかなり苦痛なので
もしものことを考えるならばちゃんと山岳保険に入りましょう。後ろ盾があるかないかはとても大きな違いだと思います。



by kala-pattar | 2016-05-10 00:13 | Mountain