未来を憂うこじらせ系モデラーは今すぐPOPEYEの最新号を買え、という話。

モデラーのみなさん、POPEYEの最新号買いましたか? 買ってませんよね。すぐコンビニ行きましょう。


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俺はプラモデルというのを「組んで塗らなければいけない何か」であると同時に
世の中のものがどうなっているのか、工作や塗装を取り巻く取り巻く道具がどんなものであるか、を認識するためのアティチュード、
つまり、「態度」の一種だと捉えています。
プラモデルはモノであると同時に、それに対峙する人の独特な「態度」を規定する、呪いのようなものです。

プラモデルが好きな人はすぐに「ああ、あれもプラモデルにならないかな」と夢想します。
プラモデルは代償行為ではありません。手に入らないから模型で諦めるのでもありません。
この世のありとあらゆる事物が流れ流れて分割され、金型に彫られ、等しく「パーツ」という単位に還元されたものがエピソードとともにハコのなかに詰め込まれ、
それを自分が再び塗ったり貼ったりしてすることで、ありとあらゆる事物に関わった人々の努力や間違いにたどり着く、机上の旅なのです。
こんなに無駄で、こんなに美しい趣味を俺は他に知りません。

ところが、こういう哲学的な話というのはカネになりませんし、「俺はそうじゃない」と烈火のごとく怒り出す人がたくさんいます。
そして、「正しい」とか「パーツ数が多い」などといった些末な話の向こうにある「プラモデルの魅力」の本質、すなわち「態度」について
正しく表現できるメディアとはなんだろうか、というのをずっとずっと考えてきました。
(これを踏まえてホビージャパンエクストラ 2016 Springを編集したのですが、結果として読者のほとんどがモデラーだったことがちょっと悔しいのです)

で、今回のPOPEYE。超老舗の、マガジンハウスの、ファッション誌です。
そこに10ページ、「タミヤとカシミヤ。」というコーナーが組まれている。
そこには模型の紹介もなく、作り方もなく、くだらない豆知識や歴史やこのブログのような説教臭い駄文も一切ありません。




ただひたすらに、かっこいい男の子が居て、和室があって、そこにタミヤのテスタロッサの模型があり、その模型を作る道具がある。
たったそれだけの10ページなのですが、ここまで(俺が考える)模型の本質に迫った雑誌企画を見たのは初めてです。悔しくて悔しくて、涙が出ます。
狭量なモデラーは言うでしょう。「そんな道具でそれが作れるか」「そんな格好で模型が作れるか」「模型をナメてんのか」と。
そうではないのです。模型は誰がどんな格好で、どんな道具でどこで作っても、そいつの勝手なのです。
その「勝手」を、こんなストレートに、ビジュアルに、10ページも使って見せてしまったPOPEYEの最新号には、
プラモの世界を根幹から揺るがすような、大きくて深いヒントが隠されています。ギョーカイの人、絶対見たほうがいいよ。
あと、モデラーのみなさんも(自分は自分で楽しんでいるからイイのだ、という人は別に読まなくてもいいですが)
模型人口が云々、これからはこういう企業努力が云々、と愚痴を書くのもいいですが「プラモデルと付き合うって、どういうことなんだろ」というのを
ここからちょっとでも読み取れると、なかなかおもしろいことになると思います。

なんともぼんやりとした文章ですが、僕が100000文字書くより、読んだほうがいいです。是非。




by kala-pattar | 2016-09-18 18:01 | プラモデル