君は「50年前のプラモデル」を組んだことがあるか。(もしくは、タミヤというブランドの強度について。)
2016年 09月 25日
クリアーのボディに、シルバーの翼。びっしりと打たれたリベットと、シャープなパネルライン。
驚くなかれ、これはいまから50年以上前、1965年に発売されたタミヤのプラモデル「1/50 彩雲」である。
初めに言っておくと、これは若い人に向けた記事である。「そんなことは知っていたよ」というコメントは無用だ。
プラモデル業界における年に2度のお祭りのひとつ、「全日本模型ホビーショー」(於東京ビッグサイト)の会場内、タミヤブースにて
田宮俊作会長のサインが入った1/50スケールの彩雲が1400円で売られていた。この復刻版、一般販売はされておらず、タミヤが出展するイベントでたまに見かけることができる。
ふいに、学生時代、不躾に田宮俊作氏(当時は社長)との面会をダメもとで申し込んだ記憶がフラッシュバックする。
どういう風の吹き回しか、「では◯日の◯時にいらしてください」と返事をもらって、いろいろな提案とか企画を書いた紙を持ち込んだけど、
「そうか、そりゃおもしろいね。でも、そういうのはもっとこうするといいね」と朗らかに笑って自身の見解をさっくりと述べたあと、
彼はタミヤという会社のポリシーや、社屋の周りで起きた出来事を戦時中まで遡って徒然に話した。
タミヤの彩雲は、老舗模型専門誌『モデルアート』の創刊号(1966年11月号)で表紙を飾ったプラモデルでもある。
40歳以上のモデラーは口を揃えて「古いキットだけれども、とても良い思い出の詰まった模型だよ」と遠い目をする。
恥ずかしながら箱の中身を見たことのない俺は、筆で「田宮俊作」の名が入ったパッケージを手に取り、レジで誇らしげにタミヤカードを差し出し、それを買った。
こういうメモリアルなプラモデルというのは(とくにパッケージに会長のサインが入っているなどというのは)、ふつう「組まないもの」なのかもしれない。
しかし、ハコを開けてそこに収まっている美しいクリアーの胴体と、繊細なディテールで埋め尽くされたシルバーのパーツを見ていたら、我慢などできなかった。
家に帰って、無心でそれを接着剤で貼り、そこに現れる姿を貪った。
インターネットで調べると、昔、このプラモデルは胴体の右か左だけがクリアーパーツ(左右どちらかは箱を開けなければわからない仕様!!)だったそうだ。
左右に割られた胴体に、コクピットのフロアや計器を挟み込み、主翼や水平尾翼を貼って、エンジンにカウルをかぶせる。
特段貼り合わせるのが難しいところがあるわけでもなく、ただひたすらに、パーツを切り出して貼ればどんんどんカタチになる。
そう、1965年に、プロペラ機のプラモデルというのは現在と寸分たがわぬフォーマットを獲得していたのだ。
当時、モノグラムという海外メーカーが到達していた「ギミックてんこ盛り、中身もバッチリ再現」というのに憧れたのかどうなのか、
ほとんどプラモデルの黎明期とも言える日本の市場に、こういうものを放り込んでいたのが、タミヤというメーカーだったのだ。
着陸脚は胴体から出し入れでき、動翼はグニグニと動き、機体下面に配されたカメラがフロアに据え付けられている様子まで、完成後も眺めることができる。
本来は金型の外側だけ磨かれていればプラモデルのパーツは成立するが、中身をしっかり見せるために内側まできちんと磨き上げられているのがわかる。
リベットやパネルラインが凸モールドながらびっしりと彫られたシルバーのパーツもまた、景色が映り込むほどの鏡面加工で仕上げられている。
主翼のと胴体の接合部がややタイトで上反角をうまくキメることができなかったが、とにかくストレスフリーに組むことができる
今の飛行機模型となんら変わりないフォーマットのプラモデルが、半世紀以上前に存在していた。
本来的には「塗装して仕上げる」のがプラモデルの流儀かもしれない。
けれど、「50年前に、こんなプラモデルがあった」ということを自分の目で何度でも確認するならば、これは「塗らないのが正解」かもしれない。
「彩雲の模型」が欲しければ、もっともっと新しい彩雲のプラモデルが別のメーカーから発売されているのだし、そっちを完成させたほうが正確で、楽ちんだろう。
だから、これは50年前のプロダクトのありのままの姿をストレートに味わう、刺し身的な鑑賞法が正解だ、と俺は判断した。
(50年以上に渡り、金型をメンテナンスし、バリやヒケや表面の傷を最小限に抑えているのもまた、タミヤというメーカーの底力である。)
そのメーカーはまだ健在で、新製品を続々と発表しながら、その傍らでこうしたメモリアルなプラモデルを売っているという驚き。
50年前の製品をそのまま売って(懐古的な意味抜きで)ユーザーを驚かせることができる、というのはとてつもないことではないだろうか。
注意すべきは、このプラモデルが「特別な技術」で作られたものではない、ということだろう。
このプラモデルは、ごくごく当たり前の上下に割れる金型のなかにどんなパーツをどういう風に配置し、それを貼り合わせてもらうことで
「かっこいい彩雲」を作ることができるだろうか、と考えた人間のポリシーとアイディアによるものだ。
その基本的な概念は50年の昔も、現在も、決して変わることはない。そのアイディアが傑出していたことについて異論を唱えるつもりもない。
しかし、プラモデルというのはやはり、「ポリシーとアイディア」によって作り出されるインダストリアルな愉悦である。
もし、イベントでタミヤの彩雲に出会ったら、そのときは迷わず買って、死蔵せず、さっくりとその日のうちに貼ってその組み味と出来上がりを楽しんでもらいたい。
タミヤというメーカーのブランドが、その本質がどこに由来するものかを直感的に理解するためのすべてがここに詰まっている、と言っていいだろう。
塗る塗らないはあなたの自由だ。どちらにせよ、そこには「変わらぬプラモデルの本質」と「時代を超えて人々を驚かせるアイディア」が共存している。
by kala-pattar
| 2016-09-25 22:09
| プラモデル