軌道エレベーター建設予定地で最高の墓参りをしてきた話(スリランカ/シーギリヤ・ロック)
2016年 11月 14日
タプロバニーから楽園までは40リーグ。楽園の泉の音も聞こえよう。
大学生のときに買ったアーサー・C・クラークのSF小説『楽園の泉』は友達にあげてしまった。
Kindleで買い直した『楽園の泉』はやはり新鮮な楽しさで、飛行機のなかで一気に読み進めながら、俺はスリランカへと向かっていた。
宇宙へ届くエレベーターがいつか建つならば、それはスリランカの上空でなければならない。
なぜ、どうやって、というのがこの小説の醍醐味である。
話の中盤で人類は大きな存在にめぐりあい、クラークらしい「明るく前向きな未来」に向かって邁進する姿が描かれる。
その舞台がどんなところなのか、いつか自分の目で見なければならないと思っていて、ようやく叶えることができた。
クアラルンプールからコロンボへは4時間弱のフライト。
時差のおかげで引き伸ばされた夜の中から灯りもまばらなコロンボ郊外の景色が浮き上がってくる。
空港には旅の仲間がいて、いくらかの日本円をスリランカルピーに両替してから、ドライバーに導かれてハイエースに乗り込んだ。
ハイエースはひたすらに夜の街道を飛ばす。
0時を回ってもギラギラとLED電球を輝かせる商店やレストランが目につくのがお隣インドとの違いかもしれない。
とはいえ、道端の景色はバラナシの空港からのタクシーで見たのと大差ないようでもあった。
眠りこける我々を乗せたハイエースは森のなかでピタリと動きを止め、あたりは真っ暗。
時計を見たらまだ到着予定時刻よりも随分と早い、2時30分であった。
満天の星空の下で車中泊というのもオツではあるが、近くの安宿に掛け合って、シンプルな部屋のベッドで安眠を貪る。
朝起きて何気なく部屋の扉を開けると、バルコニーのテーブルの上には朝食の用意があった。意図せずして、スリランカ飯との遭遇である。
黄色くて甘い、おしぼりのように丸められたクレープ状の物体はココナッツの香りを放っており、紅茶は大層旨く、パパイヤは濃厚な味がした。
宿からシギリヤ・ロックまでは一瞬であった。
森のなかに聳える、200mほどの岩塊である。どうしてこんなものが出来たのかを帰国してから調べたのだが、
これは火山の河口で冷え固まった溶岩が、浸食作用の結果孤立したものだという。
「ヤッカガラ(『楽園の泉』に於けるシギリヤ・ロックの名前)」はあまりにあっけなく姿を現したが、その威容は心を震わせるに充分なものだった。
ひたすらに孤独で、屹立しており、ここに宮殿を作った王のカッサパ1世の臆病な心がそのまま残っているかのようだった。
土塁と掘割と、多数の遺構に囲まれたシギリヤ・ロックの裾野を歩く。近づいてくる岩は小さいようで大きく、大きいようで小さい。
高さは東京で見る高層ビルと大差ないのだが、ひたすらに幅と奥行きがあるため、体積はその何十倍にも及ぶ。
現在では鉄の階段や回廊が取り付けられているが、5世紀の人々がこの岩に通路を刻みつけ、カッサパ王の即位からたったの7年で頂上に王宮を作ったのだ。
近づくにつれてディテールがはっきりしてくると、ほとんど垂直な岩の壁を点々と登る人間の姿が認められる。
中腹の回廊に描かれた有名なフレスコ画「シーギリヤ・レディ」は言葉を失うほど鮮明で美しく、それだけでスリランカに来る価値があると思った。
汗ばむ陽気のなかを時折吹き抜ける風は涼しく、ふと顔を上げれば地平線まで続く緑の森に、同じような岩頸が点在しているのが見える。
気持ちよく、美しい登攀。
高度感のあまり腰を抜かす観光客を励ましながらえっちらおっちらと登ること1時間弱、頂上は王宮の遺構で埋め尽くされていた。
天水を湛えた池があり、耕地があり、大きな玉座のような石造りの床があった。
『楽園の泉』を読んで、ここに来ることができた。それだけで満足だった。
軌道エレベーターの地上駅となる「スリパーダ(=アダムス・ピーク)」はシギリヤから見ることはできないほど遠いが、
もし軌道エレベーターが宇宙へと伸びれば、それはこの山頂からも一条の筋として眺めることができるだろう。
ジェフリー・バワが設計したカンダラマホテルのプールからは遠くシギリヤ・ロックを望むことができ、
プールサイドで『楽園の泉』を読み終えると、そこには大きな満足感と、深い感動があった。こんな贅沢があっていいだろうか、と思った。
翌日泊まったClub Hotel Dolphinというダッサい名前のホテルも完全にビーチサイドのリゾートで、レストランは絶品至極であった。
仲の良い友達と美味い飯を食い、いつものように酒を飲み、いつものように他愛もない話をするのも、スリランカだからこそ格別だった。
スリランカ、めちゃくちゃいいところじゃんかよ。……と、あとはもう月並みな賛辞ばかりになってしまうので割愛する。
コロンボ市内、Borella Kanatte General Cemeteryに行くと、墓守のおじさんに「何しに来た?」と険しい顔で訊かれる。
「アーサー・C・クラークの墓を訪ねるんだ」と告げると、丁寧に道案内をしてくれた。
クラークは、「生涯最高の友人」であったLeslie Ekanayakeの横で、その両親とともに眠っていた。男同士の友情を超えた、同性に対する永遠の愛がそこにあった。
どんな顔をすればいいのか本当に難しい墓参りだったが、これ以上印象深い墓参りというのもないかもしれない。
スリランカは広大で、シギリヤやコロンボ、ニゴンボだけでなく、北部にも南部にも、東部にも素晴らしい土地があり、素晴らしい遺産がある。
これから何度スリランカを訪れるかわからないけれど、クラークがこの国の何を愛し、何に魅入られたのかを少しだけでも知ることができて光栄である。
ここに軌道エレベーターが建つことを夢見て、俺もいつかスリランカにささやかな別荘でも建てられたら、なんとステキなことだろうか。
スリランカ、本当に素晴らしい国で、メシも旨く、人も穏やかで、経済的な発展と自然の豊富さとが相俟って、とてもエキサイティングなところ。
是非クラークの小説を何冊かもって、フラリと行ってみてください。めっちゃくちゃ、イイです。超感激しました。
赤道上の同期衛星から超繊維でできたケーブルを地上におろし、地球と宇宙空間を結ぶエレベーターを作れないだろうか?
全長四万キロの〈宇宙エレベーター〉の建設を実現しようと、地球建設公社の技術部長モーガンは、赤道上の美しい島国タプロバニーへとやってきた。
だが、建設予定地の霊山スリカンダの山頂には三千年もの歴史をもつ寺院が建っていたのだ……みずからの夢の実現をめざす科学者の奮闘を描く巨匠の代表作。
by kala-pattar
| 2016-11-14 23:44
| 行ってきた