すべてのSWファンに捧げられた、愛の告白。映画『エルストリー1976』を観たほうがいい理由。
2016年 12月 17日

公開当日、小さなスクリーンで『ローグ・ワン』を観た俺は、
映画中盤から意味もなく涙が溢れてきてしまい、エンドロールでは声を出して泣きながら、ひとり目を真っ赤に腫らして劇場をあとにした。
俺はスター・ウォーズが本当に好きで、まだ生きてていいのだ、スター・ウォーズのために生きる日があってもいいのだ、と思い直した。
勢いに任せて呷りまくった酒が完璧に残っていたけど、今日の朝は新宿武蔵野館へと向かった。
映画『エルストリー1976』を観るためだ。
1976年夏、イギリスのエルストリースタジオで制作が始まったスター・ウォーズのために、たくさんの俳優たちが集まった。
ルークやレイアやハン・ソロはもちろん、無名のキャラクターたちがいた。
集められた俳優たちのほとんどが、「いま、どんな映画のために何をしているのか」を理解せぬまま、その日の仕事をこなした。
本作は、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の中に登場するキャラクターたちのマスクの下、ヘルメットの中に隠された
“中の人”たちに焦点を当てたドキュメンタリー映画である。
正直、パッとしない俳優たちのインタビューの寄せ集めで、当時のオフショットがふんだんに観られるような"メイキングムービー"ではない。
ただ、インタビューだけで、僕らは感動し、笑い、泣き、はっとさせられる。
なぜなら、SWがこれだけの映画になったことを名も無きキャラクターを演じた俳優たちは理解しているし、
俺達はSWが好きで、それに携わったすべての人をリスペクトしているからである。
ジョージ・ルーカスという人間がいかにクレイジーで、SWという映画がいかに規格外だったかがさまざまな証言から浮き彫りになる。
SWにその後の人生を振り回された人がいて、いちど関わってしまったら、SWとは無関係な人生を歩むことは難しいことが理解できる。
しかし、彼らは「SWに出演した」という過去を持つだけで、大金持ちになったわけでも、大スターになったわけでもない。
ひとりの人間として、思い出を美化したり卑下したりせず、それぞれの人生を頑張っている。
この映画で俳優たちの話を導入するのに使われる3.75インチフィギュアの画に、俺は心底感動した。
それらは「自分のアクションフィギュア」ではなく「自分の演じたキャラクターのアクションフィギュア」である。
(『ローグ・ワン』の世界にも、アクションフィギュアという概念がある、ということを観た翌日だもんね)
彼らは、それらのフィギュアを起点にして
「SWだけが自分の人生のすべてではないけれど、SWが愛おしくてしかたがない」というアンビバレンスを、恥ずかしげもなく告白する。
「SWだけが自分の人生のすべてではないけれど、SWが愛おしくてしかたがない」という感情を
『ローグ・ワン』を観ながら号泣している自分も間違いなく持っていた。
だから、映画が進むうちに、観客は自分もSWに出演した俳優の一員であるかのように錯覚し始める。
SWサーガを構築しているのは、スクリーンの向こう側で働く人たちと、そして、愛することをやめられない俺たちである。
「君は、SWを好きでいいんだよ。SWは、永久に、呪いのように、君の人生にまとわりつく。
それを力ずくで振り払う必要もなければ、新たに作られるエピソードを毛嫌いする必要もない。
もはや誰の意志でもなく、地球にいる20億人のSWファンたちの愛によって、サーガは永久に続くのだから。」
そういうメッセージを勝手に受け取って、「ああ、SWを好きでよかったな」と心の底から思った。
by kala-pattar
| 2016-12-17 23:43
| STAR WARS