宇宙への架け橋となった「地球最後の有人戦闘機」の話(自由部門)
2016年 12月 22日
まずはみなさん、上の写真でビビッと来たならいますぐにこの本を買いましょう。
書店では売っておりませんので、ご注意を。
第二次世界大戦終結からたった9年後、ロッキードの天才設計士によって生み出されたF-104は、日本で「最後の有人戦闘機」と呼ばれた。
その研ぎ澄まされたボディラインと小さな主翼はまるで鉛筆のようで、
「機能がカタチを作る」という観点からすれば、これ以上にシンプルで獰猛なフォルムの戦闘機は存在しないのではないだろうか。
航空自衛隊にも導入されたこのF-104は、そのスピードと上昇力ゆえに、いくつかの機体が選ばれ、宇宙飛行士の訓練機として改造された。
胴体内部にロケット燃料を搭載し、胴体尾部にロケットエンジンを増設され、延長された主翼とノーズコーンに姿勢制御用のノズルが追加されたこの機体は
NF-104Aと呼ばれ、高度およそ36kmまで上昇できる破格の存在となった。
飛行機とロケットの間に存在し、人間の住む場所と宇宙の間に駆け上がるための、あまりに危険な機械。それがNF-104Aである。
上の写真でNF-104のコクピットに収まっているのはチャールズ・エルウッド・"チャック"・イェーガー。
人類で初めて音速を超えた男である。
もしもこの機体のことを知らなければいますぐに映画『ライトスタッフ』を観てほしい。
宇宙開発黎明期に活躍したアメリカのテストパイロットと宇宙飛行士たちのドラマはあまりにも眩しく、美しい。
映画のクライマックスでチャック・イエーガーが駆るのが(ディテールは史実通りでないものの)NF-104Aである。
これを見て、奮い立たないオタクはいないだろう。
このNF-104Aの写真をこれでもかとかき集め、簡素な解説を付けたのが、冒頭で紹介した「エアクラフト フォトブック Lockheed NF-104A」である。
ひたすらに大きく、高解像度なNF-104Aの写真が見られるのはこの本をおいて(国内で買えるものとしては)他に存在しない。
中には「どこから入手したのだろうか」という写真も含まれており、ひたすらにこの機体の異常さと恐ろしさが伝わってくる。
惜しむらくは、そのものズバリのプラモデルがこの世に存在しないことだろう。
モデラーたちは、ノーマルのF-104のプラモデルを改造してそれっぽく作るしかないのだ。
かつて俺は、模型メーカーのハセガワの屋上で展示されているF-104のコクピットに座って、キャノピーを閉めてもらったことがある。
細長い機体の一番前にちょこんとあるシートに身を沈め、天蓋を閉められると、自分は世界で一番孤独な人間になったかのように錯覚した。
自分の後ろに強大なロケットエンジンが付いているところを想像して、震え上がった。
こんなに大きく、こんなに獰猛な物体を、たった一人で飛ばし、
3万メートル以上の高さの、漆黒の宇宙の入り口にたどり着く人間は常人ではない、と思った。
ハセガワの1/48スケールのスターファイター(そう、F-104の愛称は「星の戦闘機」なのだ)は
実機のカミソリのような印象と、繊細なディテールを再現した名キットである。
タイヤとホイールが別パーツだったり、脚収納庫のディテールを再現するための複雑な分割が考えられていたり、見どころも多い。
(ただし、美しく組み立てようとするとかなりの経験値を要するピーキーなプラモデルでもある。)
願わくば、NF-104Aの立体物を、自分で組み立てて、うっとりと眺めたい。
月への道のりは、この機体なしに切り拓けなかった。人類史に燦然と輝く飛行機の「プラモデル」がほしい。
一部のマニアのための高額なレジンキャストキットや改造パーツではなく、
誰でも手にとって組み立てられる、「プラスチックのランナー」に、然るべく分割されたロケットエンジンが、平然とそこに配置されていてほしい。
贅沢な悩みかもしれないが、しかし、こんな本を見せられてしまったら、そう願わずにはいられないのである。
一人でも多くの人がこの本に触れ、この本の中身に衝撃を受け、そして「この飛行機が欲しい」と念じるようになってほしい。
「これがほしい」「これが樹脂に還元されて、自分の手元にあるべきである」と考える人が一定数いれば、
この偉大な飛行機がプラモデルになることだって、あるのかもしれないのだから。
by kala-pattar
| 2016-12-22 00:14
| →SPRUE CRAZY