羽田空港にある、この世にひとつの本屋さんの話。

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その本屋さんは羽田空港第一ターミナルの入り口のところにあって、京急のホームからエスカレーターを昇ると右側に見えるのだった。

なにか趣味を持とうと思った中学生の私は『月刊エアライン』を定期購読しながら羽田空港に足繁く通う根暗な人間で、
飛行機を引き寄せる大きなレンズや航空無線を傍受する無線機の広告に憧れながら、祖父にもらったコンパクトフィルムカメラをぶら下げて
空港をあてどなく彷徨い、そこに充満する旅情の予感を鼻から吸い込んで、それで満足することに全神経を傾けていた。


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ブックス・フジは、羽田の入口にあって、航空関係書籍が日本一充実した書店である。
もちろん普通の雑誌やマンガも扱っていたから、私の中学時代の数少ない旅行のときも、無目的に羽田空港に遊びに行くときも、必ず立ち寄っては本を買う場所だった。
そこは自分にとって、同好の士が世の中にいることを自覚させてくれる場所であり、まだ見ぬ飛行機について教えてくれて、夢や希望に満ちた場所なのである。


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旧国際線ターミナルが閉鎖される日も、オレは自転車で羽田空港に向かい、閑散としたターミナルの内観を撮影し、
そしてデッキからチャイナエアラインの機影やイラン航空の747SPを眺めた。
もちろんそのあとは国内線ターミナルに移動し、ブックス・フジに寄ったのだった。

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2017年5月20日、羽田空港のブックス・フジは閉店する。
いまや機内の時間を潰すために本を持ち込む人よりも、スマホやタブレットを持ち込む人のほうが多いのだろう。
インターネットで得られる航空関係の知識だって豊富だろう。
本屋さんがなくなることを嘆くのは、もしかしたら無意味なのかもしれない。
でも、「特別な場所」がなくなってしまうことに、感傷的になる権利はオレにもあるんじゃないだろうか。

そんなことを思って、あのころのようにひょいと、無目的に、羽田空港に向かった。
何十万円もする撮影機材はあえて持たず、適当なカメラを持って。


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あのころよりもうんとひなびた表情の第1ターミナルは、ANA派(使うのはもっぱら第2ターミナルだ)のオレも優しく迎えてくれた。
デッキに上がれば、あの頃と同じ鶴丸の日航機が並んでいる。デジカメで撮る同じ画角の風景は、なんとシャープなんだろう。


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ブックス・フジはその日も元気に営業していて、週刊誌を買うサラリーマンや、飛行機オタクと思しきあんちゃんが訪れていた。
オレはブックス・フジでの最後の買い物に決めていた“Hello,Goodbye" (BOEING747 KATSU AOKI:FILM PHOTO WORKS) を買って、
店員さんに「いままで本当にお世話になりました」と声をかけると「ありがとうございます」とにこやかな返事が返ってきた。
同名の大鳥居店は存続するとのことだが、航空関連書籍に満ちたのこの空間はもうどこにも再現されない、という。
並んだ航空関連書籍と、オタクがにやにやして眺める航路図と、パイロットしか買わないような特殊な帳面と……。


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第1ターミナルの"てんや"で天ぷらをビールで流し込み、ああオレもオッサンになってしまったなぁなどと思いながら帰って、
買ってきた写真集の序文を読んで、思い切り泣いてしまった。
取り戻せない昔の何かは、どうやっても取り戻せなくて、それを文字や写真で残すことはとっても素敵だなぁなどと考えて、
そしたら涙が止まらなかったのである。


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今日、2017年5月20日に、あの幸せな空間は消えてしまう。
オレのオタク人生の出発点となった本屋さんは、なくなってしまう。
恩返しはもうできないけれど、ずっと忘れないと思います。




by kala-pattar | 2017-05-20 00:23 | 町中での出来事