ガンプラのパーツに色が付いているのはなぜか。
2017年 11月 06日

先日東京モーターショーに行ったついでにダイバーシティ東京に入っているガンダムベース東京に行きました。
旧ガンダムフロント東京と言えばいいでしょうか。現在は古いのから最新のやつまで、とにかくガンプラを大量に売っています。

ガンプラの設計製造工程をなんとなく学べるディスプレイや、ガンプラを作るコーナーなども併設されています。
なかには結構ギリギリな資料とかも陳列してあって、じっくり見ると面白いです。


とりあえずそこらへんの模型店では棚の面積とか再販スケジュールとかもあって陳列されていないようなガンプラも、ここならほとんど手に入ります。
つうかここに来ないとまず買えないだろ、という「懐かしい上にあんま再販されない不人気アイテム」がドバーッと棚に並んでいて
とにかくテメエの人生を鏡のように見せつけてくるのがすごい。とにかく行ったらわかる、逆上しちゃいます。
……というか、これから見せるガンプラの殆どを自分で組んだり触ったりしたことあるわけですけど、
こうずら~っと並べられて、跳躍なしにジワジワと進化していく様子が仲良く並んでいると、違う意味を持ってくるんですよね……。

あの、プラモデルって塗るものじゃないですか。
でもガンプラはここ20年くらい塗らなくてもいいことになっているので、案外「プラモは塗るもの」という概念はフツーの人に通じなかったりします。
で、ここはガンプラというのをプロダクトとして見せているので、塗ってない状態は「箱に入っているものはこういう物体です」という意味を持っている。
工場で一度、ユーザーの手でもう一度。プラモデルは二度完成する。ここにあるのは、工場から出てきた万人にとって平等な状態。
だから、「名人が作ったガンプラの美麗な完成品」はあくまで販売コーナーから隔離されていて、
とりあえずどんな人でも箱を開けて言われたとおりにパーツを切って貼り付けるとこういうものになるんですよ、というのが販売コーナーにある。
これらはたぶんガンダムフロント東京のときに佃煮みたいに並べられていたやつを再配置してるんですが、
塗ってないプラモが展示してあって、その下にハコがあって、それをレジに持っていくと買える、というのが
「ガンプラのプロダクト性(=未完成であることが製品として完成されている)」みたいなものをめちゃくちゃブーストしていて異常に愛おしいんですね。






納得感をブーストしていくと、パーツが細かくなって色分けが激しくなって、誰が組んでも名人が塗ったような仕上がりになるというところに到達する。
プロダクト(=万人が受け取るもの)と作品(=名人が作るもの)の隔たりが、年代が下るに従って狭くなっていく。エキサイティング。







ガンプラって、一色であっても最初から色がついてたし、それをただ貼るだけで「うおー!ガンダムだ!ザクだ!」ってなるものだったんだよね。
アニメの設定通りに塗装する、ってやっぱりどう考えてもハードルが高い。筆で色を塗る作業とか、学校出たら普通は二度としないで死んでいくもん。
だから、色を塗るというハードルの高い行為から脱出するために、バンダイはどうしたのか!?というのを延々と見ながら歩いていると、
今のガンプラが本当にプラモデルの本来的な姿から遠いところにあることがわかるし、その旅路がとてもとても大変だったこともわかる。
んで、昔のガンプラの納得感に自分を合わせてみると、それはそれですごくカッコイイ(懐かしいとかキッチュとかじゃなくて、プラスチックが尊い)。
我々が胸打たれるのはシェフの料理でもあるし、その前の段階、頑張って育てられた作物でもあったりするっていう。
昔のガンプラがいまだに売られている理由って、安いとか懐かしいみたいなのもあるけど、「根本的に今売ってるガンプラと全く違うもの」だからでもあるよね。多分。
ほぼ私のプラスチック大好きフェティシズムを開陳しているだけ、みたいなエントリになってきましたが、
みなさんがガンダムベース東京に行ったときどんな感想を持つのかすごく興味があります。おもろかった。
by kala-pattar
| 2017-11-06 00:00
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