そうだ、エベレスト見に行こう【その3】

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歩行4日目。パンボチェを出ると、川を眼下に望むトラバースルートが数キロにわたって伸びている。
周囲に人の姿はほとんどなく、はるか遠くだったアマ・ダブラムは対岸で刻々と姿を変えていた。
ショマレ(Shomare)、オルショ(Orsho)と地図に記載された集落はまことに小さく、道も快適至極であったため、休憩は勢い少なくなる。


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イムジャ川とロブチェ川を隔てる尾根の、西側にペリチェ(Periche)、東側にディンボチェ(Dingboche)という村がある。
ペリチェは標高4270mとディンボチェの4410mよりもやや低いが、日没が早く、南北方向に伸びた比較的狭隘な谷に位置するため、見るからに寒そうである。
ディンボチェはエベレスト街道の最短距離よりもやや東に外れたルート上にあるが、周囲にはいくつかのバリエーションルートが伸びている。

眼球の奥底にほんの少しだけ、ほとんど気が付かないほど軽い頭痛を感じていた俺は、ディンボチェに宿を定め、2日間の高度順応を課すことにした。
4410mといえば、生身で来たことのある最高地点に間違いなかった。
午前中にディンボチェ最東端に位置する宿に荷物を降ろし、不要なものを部屋に置いていく。
トレッキングポールと水筒、ココナッツビスケットと上着をスカスカのバックパックに入れ、宿を出た。

Nangkar Tshangと呼ばれるその山は、ディンボチェの村の裏山みたいなもので、地図には標高5616mと書かれていた。
もし今日のうちに、目標であるKala Pattharよりも高いところへ高度順応がてらにサッと登れるならば、それはそれで安心だろうとトレイルに足を踏み入れる。


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しかし、その登りの辛さたるや、人生で味わったことのないものであった。
4700mあたりまではサラッと高度を稼げるのだが、そこから上ではどうしても思うように動けない。
どこかの筋肉が疲れているとか、息が苦しくて動けない、というのとは全く違う現象が襲ってくる。

ただ単に、どういうわけか脚が動かないのだ。

20m先にある特徴的なカタチや色の岩を目印にして、そこまでなんとか歩く。
目標にした岩にもたれかかり、40回ほど呼吸をすると、脚が動くようになる。
最後はうめき声を漏らしながら、目標の岩を10m先にし、5m先にし、カメのような歩みでようようピークへと登った。

頂上には誰もおらず、鉄製のポールが立っていて、そこにくくりつけられたタルチョがただただ風になびいていた。
岩に腰掛け、息を整えて、絶景などという言葉では言い表せない山々の姿を眺める。
タムセルク、カンテガ、アマダブラム、マカルー。口をついて「ありがとう、ありがとう」という言葉が漏れてしまう。ガラにもない。

目を閉じると、夕日が瞼を貫いて脳をオレンジ色に染めるのを感じる。
俺はうずくまって泣いていた。
悲しいとかありがたいとかではなく、酸欠の脳が、峰々の姿と太陽光と、はためくタルチョの美しい色彩を処理しきれず、オーバーフローしていた。


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日没が迫っていた。あまりにも高い稜線に囲まれているクーンブの谷は、場所によって3時過ぎに暗くなってしまう。
ひとりNangkar Tshangの斜面を降っていると、大声でこちらを呼ぶ声がする。モンジョで宿を同じくしたジャイプール出身のインド人だった。
自分と同じソロトレッカーで、極めて能天気で明るい性格。彼はいまにも倒れんばかりの疲労困憊ぶりで、下から登ってくる。

すっかり日の傾いたトレイルの上で、彼は「ペリチェはどこだ、ロブチェはどっちだ」と喚き立てる。
この道は泣くほど辛いピークへと続く一本道で、ペリチェはあの尾根の向こう側、トゥクラはさらにその谷を2時間以上上がったところだと説明し、
地図を見せて現在位置と目的地を示すが、彼は一向に信じない。
諦めて「このまま登ったらお前は死ぬ。俺についてきて、今日はもうディンボチェの宿に泊まれ」と進言すると、彼はおとなしくそれに従った。

宿に戻り、紅茶をガブガブ呑みながら他のトレッカーのガイドと談笑する。
昼に登ったNangkar Tshangはなんと読むのか。人によって「ナンカル・チュン」だったり「ナンカール・ツァン」だったり、発音がどうも一定しない。
そもそも、あそこは本当に標高5600mもあるのか、と訊ねると「5000m少ししかない」と言われ、ひどくがっかりする。

後でわかったことだが、Nangkar Tshangのトレイルは5080mほどの地点を最後に途切れている。
5600m地点はその先の峻険なリッジの奥にあり、ロープやクライミングギアを出さなければ踏破できない場所であった。


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翌朝、歩行5日目。
体を休めるために8時頃までベッドで過ごし、ゆっくりとした朝食をとる。
インドの大男はすでに出発していて、恐ろしいスピードで降下してきたスペイン人の女の子は、たまたま居合わせたスペイン人の大男と喧嘩していた。
ガイドやポーターを付けていないトレッカーの気ままで荒っぽい感じが、とても頼もしかったり不安だったりして、見ていて飽きることがない。

この日は筋肉の回復に努めることにしていた。
高度順応のためにも、少しは動く必要がある。水筒とココナッツビスケットだけをショルダーバッグに入れ、肩からカメラを下げて昼前に宿を出た。
エベレストへの道のりを一旦外れ、アイランドピークの方向へ歩いていく。


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四方を氷河に囲まれ、まるで島のように谷底に浮かんだアイランドピークが堂々たる姿を見せる。
このトレイルの最後の集落、チュクン(Chhukhung、4730m)までは極めて景色もよく、ハードな登りもなく、ただただ美しかったことが印象に残っている。
誰ともすれ違わず、広くて明るい谷のなかを、自分の好きなように歩く。こんな面白いことが他にあるだろうか、と思った。

チュクンから戻り、ロッジのダイニングで暖を取るトレッカーやガイド、ポーターと談笑し、
夕食をとったら水筒に熱湯を入れてもらい、8時前にはそれを抱えてベッドで丸くなる。
毎日の行動がルーチン化して、寒さや酸素の薄さに慣れて、少しずつ山の暮らしが自分の身体を変えていく。



by kala-pattar | 2018-01-08 17:29 | 行ってきた