そうだ、エベレスト見に行こう【その5】

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オフシーズンのエベレストベースキャンプほどつまらない場所はない。
そこにキャンプはひとつもなく、ここがエベレストベースキャンプだという看板もない。
エベレストは見えないし、サウス・コルもヒラリー・ステップも見えない。
ひたすらにそそりたつ山の斜面が地面に突き刺さり、巨大なダンプトラックほどの氷がズルズルと重力に引かれ、
泥と水を幾層にも固めて出来上がった模様は天地の方向を無視してランダムに回転し、折り重なっている。


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周囲には屈強なポーターと軽快に歩くガイドにサポートされてここまで来たツアーの欧米人がいっぱい。
トレイルの終わりには「一応、ここをエベレストベースキャンプということにしましょう」というテラス的な土砂の台が作られている
(どうせそのテラスも毎年の雪崩や氷河の崩壊によってあちこちに移動するのだろう)。

それでも、欧米人たちは口々に「ついに着いたぞ」「やった」「私達、ここまで来たのね!」と快哉を叫ぶ。
子供を褒める親、お互いを称え合う男たち、息も絶え絶えな老婆をサポートする女たち。
ガイドが持参した「Everest Base Camp」という小さな看板を手渡され、順繰りにInstagramにアップロードする写真を撮影すると、彼らのすることはなくなった。

若い男が甲高い雄たけびとともに上半身の服を脱ぎ捨てる。
ヒゲを蓄えたオヤジは小さなリュックから缶ビールを取り出して飲み始める。
若い男がひざまずき、小箱を開けるとそこには小さく輝く指輪。仲間がカメラの放列を作り、若い女がそれをわざとらしく驚きながら受け取る。
キスの連続、祝福の連続。無意味な咆哮と、嬌声の応酬。

それは正しい行動なのかもしれない。が、俺はもう少しだけおセンチな気持ちになりたかった。

そんな様子の俺を見て、おそらく独力で到達した中国人のカップルが
「お前、こんなところじゃなくて、もっと奥に進むといいよ。足元はしっかりしているから、危なくない」と教えてくれた。
複雑にうねり、時に鋭く落ち込む氷の上には砂利が薄く乗っている。
足元の様子をこれでもかというくらい慎重に探り、少しでもウエスタンクームに近い場所へとにじり寄る。

欧米人の声は遠くかすかになり、風の吹きすさぶ音と、氷のこすれる「ククッ」という音だけが聴こえる。
尾根の向こうには多くのクレバスを秘めたクーンブアイスフォールがあるのだろう。そこにかかるハシゴ、ロープを想う。
ここからは見えないサウスコルの左の上に、黒くてどっしりとした、エベレストの峰を想う。
眼前のエベレスト西陵にもいくつかピークはあるが、名前はない。
ゴツゴツとした氷の底で、自分以外の誰も見えない状態をゆっくりと噛みしめる。

つまらない、という意味を正しく言うならば、そこが壮絶な「途上」であるということだろう。
たまたま、土の上を歩いて進むことができる地点がここで終わっているだけ。
その先には数々の山がそそり立ち、人々を誘っていた。


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テラスを振り返ると、いよいよやることのなくなった欧米人たちを蹴散らすように、ヤクの隊列が氷河へ降りてくるところだった。
氷のくぼみに投げ込まれる大量の巨大な荷物。
ヤクを連れてきたオヤジに「もしかして、これから登るのか」と訊ねると、無酸素冬季登頂を狙うクライマーのキャンプだと言う。

エベレストベースキャンプは、やはり途上だった。
ここまでは誰でも来れるが、ここから先は誰もが行ける場所ではない。
なら、それを隔てるのはなんだろうか。自分は、何かになれるのか。
この欧米人たちと、自分は何一つ違わない。


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エベレストベースキャンプからゴラクシェプへと戻る道すがら、ヌプツェの左肩にはずっとエベレストが見えていた。
奥まって小さいが、ひとつだけ真っ黒で、頂上から白い雲を吹き上げているその姿はあまりにも超然としていた。


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その日の夕暮れはまことに見事で、月は明るく白い雪とエベレストが吹き上げる雲を照らしていた。
どことなく寂しい気持ちと、そこはかとない充足感。
自分にとってのエベレストベースキャンプは、そういう思い出としてパッケージされた。




by kala-pattar | 2018-01-09 23:12 | 行ってきた