そうだ、エベレスト見に行こう【その6】

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憧れの地で初日の出と洒落込みたかったが、そのために5000mオーバーの土地に2泊するのはハイリスクだった。
飛行機が欠航しなかったラッキー。思ったよりも一日あたりの距離を伸ばせたラッキー。高度順応がうまくいったラッキー。
多くのラッキーが重なって、アンラッキーなことにKala Pattharへのアタックは大晦日の早朝と相成った。

歩行8日目、朝4時45分。
持参したスリーピングバッグに薄い毛布を2枚かけ、あまりの寒さに寝たり起きたりを繰り返していた俺は、
一念発起して湯たんぽ代わりの水ボトルを掴んでベッドから這い出し、ザックの中の着られるものをすべて着て、ヘッドランプを装備した。

ロッジを出ると空には満天の星が輝いていたが、満月まであと2日となった月はもう沈んでいた。
ヘッドランプの明かりを頼りにKala Pattharの麓、トレイルのある場所を探して彷徨うが、いくらなんでも初見の単独行でそれは無謀だった。
たぶんこのへんだろう、とアタリをつけ、適当に斜面をよじ登る。
先行するトレッカーのヘッドライトが遥か上方に閃いているが、自分の足元に道らしきものはない。

幸いにして、後発のトレッカー2人組がヘッドライトを揺らしながら登り口へと歩いていくのが見えた。
彼らはハッキリとトレイルを把握しており、足取り軽く高度を稼いでいる。俺は急いで道なき斜面をトラバースし、彼らの前に躍り出ることができた。
「道を見失ったのか」と訊かれ「ちょっとだけな」と答えると、彼らはスタスタと登っていってしまった。


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日の出まではまだ時間があったが、空は次第に白み始める。世界の高いところから順に、朝焼け色に染まっていく。
いちばん最初に色づいたのは、エベレストの吹き上げる雲に他ならなかった。

重ね着のせいでうまく足が上がらず、急な登りで一気に体力を奪われる。
疲労から歩行をやめると一気に体温が下がり、爪先の感覚がなくなっていく。
もはや寒いとか冷たいという感覚が風によるものなのか、単に気温が低いのか、地面に熱を奪われているのか判然としない。
寝起きなのに、やたらと腹が減る。

信じられないくらい、厳しい。

さんさんと陽の降り注ぐ日中に、防風だけ考えた格好でパパっと登れば大したことはないのだろう。
ここまで一度もやらなかっただけに、日没時の行動は想像を絶する世界だった。
うずくまって、転がる岩を三脚代わりに写真を撮って気を紛らわせる。当たり前だが、脳が回っていないのでロクな写真が撮れない。
しかたなく立ち上がって動き始めるが、あまりの寒さと足の動かなさに苛立って、またしゃがみ込む。

何度これを繰り返しただろうか。

頂上は思っていたよりもずっと奥にあり、タルチョがはためいている横で登頂した人たちがはしゃいでいる様子が見える。
道半ばでへたり込み、登頂を諦める夫婦の姿も見える。軽快に降りてくるのは、寒すぎて日の出を見ることを諦めた人たちだ。

なんでこんなことをしているんだろう、とは思わなかったし、誰かとの約束だから行かなければ、とも思わなかった。
寒すぎて、何も考えられない。ただ足を少しでも前に出すことしか、できない。


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Kala Pattharの山頂にたどり着いたとき、もはや頂上に人の姿はなく、下から登ってくる人の姿もなかった。
おそらくこの時、この丘の上にいる人間は、俺だけだった。写真を撮ってくれる人も、良かったねと言ってくれる人もいない。
何はともあれ、着いた。
相変わらず看板も何もない頂上だったが、俺はこの旅行の日記代わりにしていたエキサイトブログのノートを引きずり出し、エベレストに背を向けた。
そして、朝日を浴びたプモリがカラパタールの奥に輝いているのといっしょに証拠写真を撮った。

白い花崗岩がスラブとなって突出したピークは、東側こそ穏やかな表情を見せている。
しかし、岩の割れ目に手と足を突っ込んで本当の頂点に立ってみると、西側はズッパリと数百メートルにわたって切れ落ちていた。
風が強くて、寒い。ここに長居する理由なんてどこにもない。しかし、もう動く気力が全然ない。
スラブに背中を預けて、呼吸が荒れるのに任せ、目の前にあるエベレストと初めて見るサウスコルの姿を目に焼き付けた。

「すごい、本当にすごい」「ありがとう、ありがとう。」としか言えなかった。

手袋を外せば一瞬で指が動かなくなり、動画を撮ろうと携帯電話を起動すると、ものの一瞬で電源が落ちてしまう。
自分の吐いた水蒸気はバラクラバの中を通って瞼にへばりつき、まつ毛が凍って瞬きもおぼつかない。
その瞬間、視界がバッと白くなって、身体が一気に熱くなるのを感じた。数秒間、本当に自分の身体に何が起きたのか理解ができなかった。


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しばらく呆然としてからそれが2017年最後の日の出だと気づいて、カメラを手に取り、何も考えずに数枚シャッターを切った。
さすがにフレアもゴーストも気になるが、金属の鏡胴に触るのは考えただけでゾッとしたし、なにより良いレンズに替える気力などどこにもなかった。
しかし、太陽から届く輻射熱と言ったら、それは強烈だった。それに照らされるエベレストもまた、強烈だった。
俺はまたうずくまって、ひとしきり泣いた。


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カメラを適当な岩に置いてセルフタイマーをかけ、なんとかタルチョと自分の姿を写真に収めた。
Kala Pattharに自分がいる写真は、ちっともかっこよくないが、そもそも山の名前を自分のハンドルネームにするのがいけないのだ。

そういうわけで、この旅の目的は達せられた。
あとは、帰るだけ。もったいないけど、帰るのも一苦労だ。急いで降りよう。


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ゴラクシェプで荷物をパッキングし直し、ロブチェ・パスであまりのアップダウンに悪態をつきながらトレッキングポールを折り、
ロブチェは素通りし、トゥクラではホットレモンをもう一度飲み、ガレた氷河の名残から土の尾根へと駆け下る。
行きは3日、帰りは半日。酸素がどんどん濃くなって、ヤクの糞や灌木の発する微かな香りが奔流となって鼻孔を通り、脳を直接刺激する。
ディンボチェまで一気に1200m標高を下げると、4日前に世話になったロッジの兄貴は俺の顔を見るなり「よう、また来たな!無事だったか」と微笑んだ。

2018年1月1日、目覚めると空は一面の曇天で、回りを取り囲んでいるはずの山は、全て頂上を雲の中に隠していた。
大晦日の朝、俺がKala Pattharの頂上で太陽の光に貫かれるまで、ラッキーは重なっていたのだ。



by kala-pattar | 2018-01-10 22:53 | 行ってきた