そうだ、エベレスト見に行こう【最終話】

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2018年元旦。歩行9日目。
一面の曇り空のなか、ヘリコプターが10分おきにクーンブの奥へと飛んでいく。
トレッキングルートでにっちもさっちもいかなくなった人からの救助要請がそれだけ多い証拠だ。



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ルクラからカトマンズへと帰る飛行機は1月5日早朝の便を予約しておいた。
1日飛行機が欠航するとか、思ったよりもトレッキングに時間がかかるとか、そういうリスクも考慮した、いわゆる予備日を設定してのことである。
しかし、このまま猛スピードで降りれば2日の夜にルクラに着いてしまう。

ゆっくり山を楽しむべきか、とっとと帰るべきか。
歩きながら考えればいいさとバックパックを背負い、ディンボチェからパンボチェへと谷を下る。
パンボチェで泊まったロッジの兄貴は俺の顔を覚えていて、「今日はどこまで下るんだ」と訊ねてくる。
「タンボチェか、キャンジュマあたりで一泊しても良いかなと思ってる。何しろ飛行機がもっと先だからね」と答えると
「飛行機なんて来たやつに乗ればいい。いまはオフシーズンだからそれも大丈夫だ。何よりお前はひとりで上がって、ひとりで降りてきたんだろう。
見た目タフそうだし、ナムチェまで降りてしまえばいい。日没までまだまだあるさ」とお世辞なのか本当なのかわからないことを言う。


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いつしか空はスカッと晴れていた。「歩けるだけ歩く」というのが、本当に楽しい。
山登りの愉快さや自然と自分との交感みたいなものとは切り離された、純粋な歩行の衝動。これを好きなだけ貪ることができる歓び。
結局その日は初詣代わりにタンボチェの僧院で仏足石を拝み、ファンキテンガまで脚がガクガクになるほどの急坂を下り、
アマダブラムを望む平らなトラバースルートを延々歩き、ナムチェに到着してしまった。

外国の菓子、電子機器、登山用品、Wi-Fi、illyのコーヒー、ホットシャワー。
ナムチェの街にはなんでもあったが、トレッキングルートのそこここにあった牧歌的な集落とは違った。
ここはもはや、ただの都会だ。

俺は極力普通のロッジを探して転がり込んだ。
毎日みんなを温めていた暖炉はなく、頼んだ肉餃子(モモ)はひどく冷たく、ベッドにはこの旅でいちばん薄い毛布が一枚置いてあるだけだった。
仕方なく寝袋をザックから取り出し、ワイワイと夜中まで通りを歩くトレッカーやシェルパたちの声を聴きながら、寝た。


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明けて、歩行10日目。
今日こそどこか適当な場所で歩くのをほっぽりだし、陽の当たるテラスでコーヒーを飲みながらダラダラしてもいい、と思った。
しかし、歩き出すと止まらない。下りでも登りでも、歩くことが楽しくて仕方ない。
ナムチェからの尾根を下りに下り、あの「エベレストが最初に見える場所」へと戻ってくると、やっぱりエベレストがこちらを睥睨していた。


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あとからあとから来る人々は、みな少し休憩しただけで出発してしまう。
立ち去りがたいものがあったけど、その姿を写真に撮り、肉眼で眺めて、脳内で礼を言ったりして、ようようそこを後にした。


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モンジョのロッジでは小屋番が中学生くらいの男子に入れ替わっていて、コーヒーを頼んだ。
ベンカール、パクディン、ガートと集落を通過して、いよいよ道はルクラへの登りになる。
チェプルンのロッジで腹が減り、余ったココナッツビスケットを食べて水を飲み、小屋番と会話していると、小さく白いものが舞う。
急速に曇りゆく空の下をもうひと登りして、ルクラの街のゲートをくぐった途端に、大雪が降り始めた。
それは、今シーズン初めての、エベレスト街道に降る雪だった。


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テンジン・ヒラリー空港の滑走路脇にあるロッジに荷物を下ろし、宿の親父に飛行機を早めてもらえるよう頼む。
ヤクのカレーを食べ、道中何度もいっしょになったイギリス人家族と缶ビールを一本だけ開け、乾杯した。


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あくる朝は寒かった。
ロッジの親父は航空会社にかけあって、本日の最終便でカトマンズへと飛べるように手配してくれた。
300mしかない滑走路から飛んでいく飛行機をいくつもいくつも眺め、陽の当たらない待合室で待ちぼうけを食らい、
我慢できなくなった空港職員ともども、陽の当たるエプロンで日向ぼっこをしながら自分の便を待った。


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カトマンズ。
キャセイ・パシフィックのオフィスで「思ったよりもトレッキングが早く終わってしまったので、日本に帰る日も早くしたい」と申し出たら
「1万円で2日早い便に変更してやる」と言われた。
「ルピーじゃなくて、円なのか」と大笑いしながら1万円札を差し出すと「これが1万円か……」とキャセイの職員が札の表裏をしげしげと眺めている。
それを見て、俺はまた大笑いした。


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荷物を持たずにフラフラと歩くカトマンズの街は、雑然としていて、うさんくさくて、しかし居心地の良い場所だった。
寺で昼寝をしていれば山で宿を同じくしたトレッカーに「また会ったな!」と声をかけられ、
レストランでカレーを食べていればまた、山で出会ったトレッカーに「アタシのこと覚えてる?」と声をかけられた。
こんな街、たぶん地球上にそうそうあるものではないだろう。


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自分のしたことを誰かに自慢してやろうとか、とびきりキレイな写真を撮ってやろうとか、面白おかしい旅行記を書こうとか、そういうことを考えない旅だった。
単に、自分のハンドルネームの由来となったパッとしない丘を登りに行って、エベレストを見てきた。
道のりは想像していたよりもずっとのどかだったし、素っ頓狂なアクシデントにも遭遇しなかった。
それとも単に、自分が感動しづらくなってきているのだろうか。

ただ、自分がこれだけ自由でいられたのは、「いってらっしゃい」と言ってくれる人がいたからで、それは本当にありがたいなと思う。
これを境に自分のなかの何かが変わるというよりも、この旅の向こうに、まだまだその先があることを知って、少しだけ自分が小さくなった気もする。
まとめようのない気持ちは、まとまらないままでいい。きっと、この世にはもっとすごいところがあるはずだから。



by kala-pattar | 2018-01-11 22:52 | 行ってきた