プラモを作ることはすなわち、「プラモである状態」を壊していることにほかならない。
2018年 12月 10日
いきなりですが、一番右にあるものは何でしょうか。高さだいたい12cmくらいで、真っ赤っ赤でなんだかもっさりした造形です。
東京タワー(の「出来がいい」とは言えないミニチュア)ですね。新幹線とモロ星人を持っている人は幸せです。
では、下の写真ではどうでしょうか。
このブログではしつこく言っていますが、プラモは二度完成します。
メーカーが出荷したときと、ユーザーがそれを組み立てたときの二度、完成するのです。
いや、完成してないプラモは未完成だろうと思うかもしれませんが、プロダクトとしては出荷された状態が「100」です。
誰かが手を付けて諦めたプラモは、中古屋さんに行くとよほどのことがない限り定価より安い(つまり、製品としては「80」とか「50」になっている)。
つまり、二度目の完成に少しでも近づくと、プラモの価値は目減りします。
ユーザーが完成させた状態もまた「100」ですが、それはその人の作品としての「100」であって、他の誰かにとっては「俺のではない、何か」です。
また、プラモが箱に入った状態、つまり、ランナーにパーツがくっついた状態は「プラモだ!」と思う情報に満ち溢れています。
最終的にユーザーが完成させる物体を想像して、誰かが何かを分割し、再度組み立てられる状態に配置しているのです。
なぜこのブログが完成品ではなく、ランナーの写真を、未組立プラモの写真を崇めているか。
あまり精密ではない東京タワーのミニチュアと、「東京」という形に分割されてランナーに収まっているパーツたちは
たとえ物質として同じでも、違う価値を持っているからです。
そう、プラモは組み立てたらなんだかわからない。ユーザーが組み立てたら、それがフィギュアなのかおもちゃなのか見分けられない。
極論すれば、最初の状態を見ていない人は、それが「プラモだったこと」を知り得ないのです。
組んでしまうと、プラモはプラモではなくなってしまう。
なぜなら俺たちは、プラモを「ランナーに付いたパーツを組み立てるものだ」と認識しているから……。
そういうことに自覚的な仕掛け人が、この東京タワーのプラモを企画したのではないかと想像すると、謎の笑みがこぼれてきます。
だって、これ、組んだら「負け」じゃないですか。
もし海外の人がこれをお土産として母国に持って帰って「これは漢字で"TOKYO"だ。そして、組み立てたら東京タワーになるんだ」って言われたとします。
情報としては、2ですね。
でも、組んで「東京タワー」になっちゃったら、情報が1になってしまう。
で、次に家に遊びに来た友達にその東京タワーを見せながら「TOKYO土産をもらったんだ!もともとこれは東京という字だったんだよ」って言ったら、
コイツ頭おかしなったんか、と思われてしまうのではないか。
しかし、ここに「東京」という文字が東京タワーになる、不可逆的な破壊活動によってしかその過程を楽しむことができないプラモがある。
プラモ、面白いですね。「俺は"完成"に向けて組み立てている」と思ってたでしょ。もとに戻せないんですよ。プラモって。
そう、だからこんなふうに、組まずに飾っておくのが卍だと思うんですけど、でも人はランナーを見ると組みたくなってしまう本能を持っている……。
あなたはひとつだけ買いますか?それとも、不可逆的な行為で東京タワーになるさまを楽しむために、ふたつ買いますか?
ちなみにこれ、模型売場で見たことないです。ドン・キホーテで見つけた。そう、作っているところも、プラモ専業ではなく、おもちゃを作っているメーカーなんです。
「こんなのプラモじゃない!」と思うもよし。「プラモって、なんなんだ……」とうろたえるもよし。
いやあ、つくづく、プラモって不思議な遊びだとは思いませんか。
by kala-pattar
| 2018-12-10 23:48
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