旅の思い出とカメラの関係をもう一度考える
2020年 09月 06日
何度となく乗った新幹線も、半年ぶりとなれば驚くべき旅情を伴ってそこに立ち現れる。
一度行ったなんてことない居酒屋も、古びたホテルも、潰れたスナックも。
毎日毎日プラモの話をするサイトというのを運営していると、インプットもアウトプットもどんどん模型になっていく。
ウマいメシとかいい景色とか、あと空っぽの時間みたいなもんがないのはサイトのせいだけじゃなくて、COVID-19が全部悪い。
ああ、飛行機で本読んだり、新幹線でビール飲んだり、旅館のドアをバーンと開けて「ひろーい!」とか言いたい。
日曜夕方、嫁に「よし、熱海行こう」と声をかけて適当に荷物をまとめ、新幹線に乗る。
持ち出すカメラはSIGMAのfpにキットレンズの45/2.8。設定はT&OのJPGにして、そこから絶対にいじらないことにした。
このカメラは本当にギョッとするような画を出してくることが多くて、
これがまあ、自分がRAWで撮影して自宅で現像したら絶対に出てこないような色とコントラスト。
新幹線でビールを飲みながら溜まっていたSF小説を少し読み進める。熱海、読書するには近すぎるね。
適当に値段だけ見て予約したホテルの部屋はやっぱり「ひろーい!」と騒いでしまうほど大きく、バルコニーから夜の海が見える。
月光にギラギラ照らされた海面を眺めながら繁華街に歩いていって、去年の4月に行った居酒屋を訪ねる。
客は僕らのほかになく、神経質そうな店主が感染を気にしながら相変わらず美味いメシを出してくれた。
豪快なママがやっていたスナックの扉には「テナント募集中」の看板がかかっていて、
仕方なく部屋で飲み直そうと思ったらドッと疲れてそのまま寝てしまった。
あくる朝、展望大浴場には僕以外に1人の先客がいただけで、少しかび臭い風呂場はほとんど貸し切り。
そのままダラッと部屋で過ごして、昼には小田原で寿司を食おうと宿を出る。
熱海に電車で行くのは初めてだったから、駅前の商店街も新鮮に見えた。
まったりとした旅、ちょっとした脱出。
そこに合わせたいカメラとして買ったSIGMA fpは、やっぱり自分では絶対に撮らないような写真を見せてくれた。
自分がカメラマンなのではなく、カメラが勝手に記録しておいてくれるような、「オレ、こんな景色見たっけ!?」とうろたえるような。
ブツ撮りはともかく、旅に出るたび写真を撮るのがおっくうでなんだか面白くないことのようになっていった気がする。
それは「とりあえずこの設定でこう撮っておけば、家でどうとでも現像できるだろう」という感覚のせいではなかったか。
自分が現像時に当てるパラメータなんて、自分の好きな色、好きなコントラスト、好きなシャープネスにハメていくようなもので、
「こういう写真はこの雰囲気で現像してみよう」とその時々でテイストを変えられる人は本当にすごいと思う。
もしどこに行って何を撮っても、自分の手垢のついた手順で、好きな絵の具で塗り込めたような画像になってしまうのなら。
自分の歩いた場所、見たもの、食べたもの。フレッシュな気持ちとギョッとするような写真の組み合わせに、ひさびさに心動かされる。
旅そのものを御してしまうのではなく、一緒に旅したカメラに撮らされる写真に、旅のドキドキを重ねるというのも悪くないと思った。
by kala-pattar
| 2020-09-06 16:37
| すごくどうでもよいこと