リアルロボットアニメとそのプラモデルの黄金時代はたった4年しか続かなかった、という話。
2022年 01月 13日
じつのところ、オレの師匠はあさのまさひこである。
そして最初に書いておこう。
あさのまさひこは、この本を書くことで彼の大きな使命のひとつを全うしてしまった。
かつて8年在籍したモデルグラフィックス編集部時代、彼はスーパーバイザー(つまり外部スタッフ)として陰に陽に誌面を監督していた。
『ガンダム・センチネル』で知ったあさのまさひこと仕事ができる!と喜んだのは最初のうちだけで、
スーパーバイザーというのはつまり、自分より年長で圧倒的に知識と経験があってめちゃくちゃにうるさい編集狂であった。
最低でも編集会議(兼・毎号の反省会)では月イチのペースで顔を合わせたし、
そうでなくても毎晩毎晩ひっきりなしに電話がかかってきて、写真やレイアウトやテキストの中身までみっちりと指導された。
最新キットを特集したり、古いプラモの回顧的な特集をしたり、通算100号近くの編集で彼の叱咤と少しの激励を浴びたが、
その根底にあるのは(……つまり、いつでも意識していなければいけないことは)いつでも文脈、文脈、文脈。
つまり、「プラモをどう作るか」よりも「その模型にはどんな意味があるのか」がつねに彼の関心事であった。
正直言って、俺が生まれてきた頃(1980年代初頭)の話をガミガミガミガミ捲し立ててきて何度もうんざりしたが、
たとえば新車のコンセプトを語るときに同名の古い車の立ち位置がわからなければ片手落ちになるように、
プラモというのはすべて地続きであって、いきなりそこにあるものではない。
>’80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録(竹書房/刊)
昨年暮れ、いきなりゲラのpdfが送られてきた。
『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』と題されたその本は、
その名の通り、ガンプラブームに端を発したリアルロボットアニメとそれを取り巻くプラモデル文化の狂乱と、
そのあまりにもあっけない終焉(……そう、終焉だ)を網羅的かつ異常なテンションでまとめた一冊であった。
読んでいるだけで、いつもの調子で喋りまくるあさのまさひこの肉声が画面を通じて聞こえてくるようだった。
そして信じられないほど濃厚で、ありえないほど量の多い脚注。
左上に注記してあるとおり、この本には写真やイラストといった図版はいっさいない。
画像なんてググればほとんど出てくるし、おそらくここに出てくる物体について断片的に記録された雑誌や書籍はゴマンとある。
しかし、書いてあることはググって出てくることとそうでないことがあり、ちゃんと全てが地続きに語られている。
これがマジで重要なのだ。
例えば、オレが青春時代(!)を過ごした90年代後半から00年代前半に至るまでのプラモや模型誌についてふと思い出そうとしても、
もはやネットにアーカイブされていないことがたくさんある。うろ覚えだなと自覚することもずいぶん増えた。
何がいつ発売されて、前後関係がどうなっていて、それぞれがどんなふうに影響を及ぼし合っていたかなんていうのは、
あっという間にいわゆる「歴史」になっていく。
「正しい歴史」なんていうものは望むべくもなく、残った資料をアーカイブし、突き合わせ、説を組み立てて語り継ぐことで
かろうじてそれらしいものが後世に伝わる……ということは言わずもがなだろう。
もちろんあさのまさひことて人間なので(しかも40年前の記憶だ)、間違っていたりうろ覚えであることもある。
それを補完する役割として、共著には五十嵐浩司氏が名前を連ねている。
五十嵐氏ともなんどか仕事をしたことがあるが、
生来の生真面目さと青森というTVアニメ不毛の地で育ったからこその渇望感(と、それに起因する執拗さ)は唯一無二のものだ。
あさの五十嵐両氏が対談しながら記憶を開陳し、互いに修正しながら「歴史」を確からしくしていく。
(もちろん、文字化するにあたってはきちんと周辺の人物がしかるべき資料に当たり、校閲している)
帯の裏表紙側にすべてのトピックが記されているので、ぜひとも目を通しておいてほしい。
あさのまさひこと仕事をしてきたなかで(シラフだったり酔っていたりマジメな編集の話だったりヨタ話だったりまちまちだが)
どれもMGを始めとした媒体の誌面でしっかりと記されたり、直接語り聞かされてきたことだから、正直俺が知らなかったことは9割以上ないと言っていい。
でも、'80年〜'84年という短い間に起きた事象がまぎれもなく「バブル」そのものであったということを、
こうして連続した文章で、まるごとカルピスの原液を呑み込むように読める機会は後にも先にも無いだろう。
何億個ものガンプラが爆売れして、同じ方法論でプラモが売れるはずだと二匹目のドジョウの大捜索が始まり、あらゆる可能性が模索された。
プラモメーカーも、そうじゃない業種の人たちも、こぞって「リアルロボットアニメは儲かる!」と本気でめちゃくちゃなことをやっていた。
めちゃくちゃの果てに、いくつかの成功例と尖りすぎた失敗例があり、
1984年の暮れに新番組もそのプラモも「濡れ手に粟ではない」ということがハッキリし、
何もかもが終わった……という悲しくも切ないストーリー
(それはまさしく、かつてモデルグラフィックス上であさのまさひこが『1Q84』というタイトルで
同ブームの終焉を特集にしたがっていた理由でもある)がここに凝縮されている。
現在のプラモデルをとりまく環境は本当にすごい。
アニメが先か、プラモが先か、そんな文脈が関係なくなるほどに「プラモがあること」そのものが文化になっていて
ガンプラにとどまらず、ありえないくらいの新製品が世界中から日々発売され、模型店の棚に並び、きれいサッパリ買われている。
これはぶっちゃけ「狂乱の4年間」と本書で謳われている'80年代前半よりも、よほどバブルと呼ぶに相応しい状態だろう。
しかしそれもこれも、あの時代があったればこそ、なのだ。
この「膨大な活字のみで読者を殴り倒そう」という意図をもって執筆&編集された異様な本は、
どんなカタログより、どんな懐古的な編集よりもリアルに当時の景色を描き出している。
アーカイブされた素材は正倉院の宝物のようなものだが(だからこそ今も取り出して眺め、その精緻さを感じることができるものの)、
その時代に起きたことをいかにすれば書き切ることができるかについて顧みられたことがあるかすれば、本書をおいて他にないだろう。
だからこそ、あさのまさひこがこのテーマ以外でオレに語り聞かせた多くのことを改めて聞き出したいし、
あわよくば書かせる……という義務があるのではないかと思ったりしたのだ。