笑ってる場合じゃねえっつうの

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1/30は森美術館へ。
日本美術が笑う:縄文から20世紀初頭まで
を見に行った。
いままでなんとなく敬遠してて森美術館は初めてだったのだが

作品は全部素晴らしかった。
超面白かった。ラインナップも考えられていると思う。
だけどもう腹立って腹立って。

なんだあれ。

展望台もセットなのね。
美術館に行くと「あ、展望台もあるのね」っていう。
そんでさ、普通逆なんだろうね。
展望台上がって「あ、絵も見れるんだー」みたいな。
なんかもう居心地悪いのなんの。

あとなんか変なBGMがクソうるさい。
冗談じゃない。

さらに導線が無い。
「自由に見れば?」ともとれるし、「ポリシーありません」ともとれる。
すっごくヒネたことを言うと
導線がしっかりしていることで
見る側も「強弱」とか「引っ掛かるポイント」なんかが意識できるんだけど
あれだけどうでもいい配列だと見る順番とか動くスピードがもう
そのままそいつの知識とか興味に委ねられるわけよ。
いいわけないでしょそんなもん。下手したら恥ずかしいよ。
俺みたいに微妙な知識だともうすごく恥ずかしい。
「『コレが好きだ』と思ったらそれがあなたにとって『いい絵』です」なんて
そんな詭弁は絶対にありえないんだから。絶対に。
だったら美術展なんてノーディレクションで成立する。
そもそも美術館が要らないってことになっちゃう。
美術史勉強した意味も無くなっちゃう。
だからやっぱり一枚一枚の絵の善し悪しとか
企画展の「企画」の部分まで汲むことを見る側は要求されている
そう思った方が美術館は100倍面白くなる。
でもそれが出来ているかどうかわからないのって、「恥ずかしい」。
ざーっと見て何も感じなくて恥ずかしくならないとしたら
それは無知の勝利でしょ。
自意識過剰なんかじゃ決して無くて。

さらにビックリしたのが
「日本美術が笑う」の展示を堪能したあと強制的に
笑い展:現代アートにみる「おかしみ」の事情
を見させられた。
見ないと出られない仕組み。
だって会場つながってて脱出口がないのよ。

あのな、
一つの企画展としてやれよ
じゃなきゃ切り離せよ。

ほんとにムカついて笑ってる場合じゃありませんでした。
もちろん展示内容はスバラシイのであしからず。
ただあの暴力的な構成はどうしても許せない。
円空木喰見てその後ハイレッドセンターってアナタ
心の切り替えが出来ませんよ。
カニ缶見て感動したけど
さっきの横櫛で感じたものすごい恋心をどうしてくれんのかと。
なんで若沖みてまろやかになったあとで
床に散乱した金ダライ見なきゃならんのかと。
もう一度言いますが展示自体はどちらもすばらしいです。
でも台無しです。あーあ。

別に俺はヘンクツでもなんでもなくて
やっぱこう、コンテンポラリーアートって一人で見るのはつらいですよ。
友達とあーだらこーだら言いながらアートなのかそうじゃないのか
おもしれーのおもしろくねーの、そういう体験までセットじゃないの?
一人で静かに日本美術見てさ、
そこから一人で現代美術の渦にボーンと放り込まれた時の居心地の悪さ。
明るくて音がいっぱいで動くものがあって疑心暗鬼で挙動不審になりながら
延々と得体の知れないものを見させられる不安感。
そこまで計算してるって?
冗談じゃないっすよ。余計なお世話。
興味を持ってほしい?これまた余計なお世話。
まるでビッグマックのセットに朝マックのセットが付いてきた感じ。
トゥーマッチ&ミスマッチ。あーあ。

そのあと国立新美術館行ったら火曜は休館でやんの。
あーあーあ。

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by kala-pattar | 2007-02-02 03:10 | 美術館・博物館 | Comments(0)
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